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2007年11月17日Sat [12:06] 中国 | 本・雑誌 |読書メモ  

民族の幻影

民族の幻影―中国民族観光の行方民族の幻影―中国民族観光の行方
(2007/06)
高山 陽子

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東北大学出版会の本というのもたぶん初出だと思うが、当然ながらマジメな研究書。所謂「観光人類学」の類であるが、著者はこの言葉がキライとのことで、これは「文化人類学」の研究なのだという。「観光人類学」が「文化人類学」の範疇に入るのか、或いは全く別物なのかトーシロの私にはよく分からんところもあるのだが、テーマが「中国民族観光の行方」ということで、どちらにしても個人的には外せないものである。「民族主義」と「愛国主義」は多民族国家において矛盾するものではないかという本質的な問題は、中国の様な事例の宝庫では考察するに不足はないのだが、この本質的な矛盾に足を突っ込むには危険なこともあり、その役割は第三者によって成されることとなる。ただ、中国にとって日本人というのは第三者として認められないのは承知の通りだ。つまるところ「抗日記念館」は漢族の民族博物館であり、「南京大虐殺記念館」も「シンセン民俗村」も同じ「愛国主義教育基地」であることには留意されたい。著者が?部を「歴史文化と愛国主義の相克」、?部を「歴史文化の再評価と愛国主義の再構築」とテーマ割りをしているのも、単なる時系列の関係ではなく、中国では「歴史文化」も「愛国」の下に存在が許されることを明確にしておきたかった意図があるのではないかと思う。その意味では「少数民族」は日本人同様、漢族の歴史文化を構築する一要素に過ぎないのだが、その脱構築は少数民族においても日本人においても経済という原理で成されている点は面白い。シャレコウベを積み上げた虐殺記念館より、民族衣装の娘さんと記念写真を撮れるところの方に行きたいだろうし、そこで手に持つデジタルカメラは「愛国牌」より、ソニーの方が宜しいだろう。「愛国主義」という幻影はこうして現実の商業主義の前に完敗していく訳だが、その「観光客」の主体が漢族である以上、客体である「少数民族」は「他者」の役割を演じていかなけらばならない。それに反発を覚える者は「漢族」という他者を通して、民族アイデンティティーを回復するかもしれないし、そうでないものは積極的にも消極的にも漢化の道を歩むことになるのだが、そこで作用するのも経済という原理である。著者はあえて触れなかったのかもしれないが「民族の幻影」とは「中華民族の幻影」のことを指している様にも感じる。

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