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2020年01月09日Thu [03:15] 中国  

なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか



元々儒教もの新書は数字が硬いのだが、売れっ子出しっ子の石平の手になるとなると、販売面で外すこともかなろう。前々から気付いてたのだが、この人は現代中国(というか中共)の批判者であるのだが、歴史は歴史、古典は古典とハッキリ色分けして、安易に現代の批判の道具としてはいない。その辺がケント某の儒教本(チラ読みだけだが)と違うところだが、そもそも哲学専攻であるから、本職である。儒教は政治、論語はビジネスの道具とされている現状に違和感があるのではなかあろうか。その意味に於いては「習近平思想」と重なるのが儒教であるのだが、論語は文革以降、中共が批判の対象とする事を避けている様に思える。論語と儒教の分断はそういったところだが、中国古典の本来の形は中国ではなく、日本に息づいているという最近流行りの論調は習近平が日本を上段に批判することに対する揶揄にもなろう。

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