2017年04月30日Sun [06:26] モンゴル  

日本人のモンゴル抑留とその背景

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昭和女子大のシンポ本らしい。関係ないが、坂東眞理子は総長になって、学長は金子朝子さんという人なのか。昭和女子は朝子と縁があるな。インド独立の志士と日本人モンゴル抑留は関係ないこともないが、なぜに昭和女子大かと言うと、内モン出身の編者が教授だから。風響社から本を出しているけど楊海英系の人ではなさそう。モンゴルの当時の人口は72万ほどで、そこに2万も日本人を受け入れるとなると、労働力的には助かるが、供給できる食料が無い。結局1万2千人規模になったのだが、モンゴル側と日本側の記録では200人ほどの誤差があるらしい。処刑者も2名記録されているが、処刑原因は不明なのか。まあそれでもロシアよりはかなりマシであろう。タシケント伝説ほどではないが、ウランバートルの建設を日本人が担ったというのは現在でも言われていること。モンゴルでモンゴル人からそういう話を聞いたことは無いが、中国との関係いかんによってはモンゴルがそういうカードを作ってくるかもしれんし、日本がそう仕向けるかもしれん。とはいえ、ノモンハンでは日本が侵略者というカードもモンゴルの民族派や社会主義残党派は留保している。ウランバートルの丘の上にある日本侵略図に韓国人のツアー団がやってきて、嬉々として記念写真を撮っていたのを思い出した。

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