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2014年08月24日Sun [02:33] 東アジア  

戦後の国家と日本語教育

戦後の国家と日本語教育戦後の国家と日本語教育
山本 冴里

くろしお出版 2014-06-12
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博論もの。戦後日本教育史。日本語教育もまた世相を映す鏡であることがよく分かる。戦後の日本語教育のスタートはインドネシアの「賠償留学生」辺りが嚆矢かと思ったのだが、GHQ向けに日本語講座が開かれていたというのは盲点であった。戦後の留学生受け入れは1954年のフィリピン人3人が初とのこと。相模女子大が香港で募集した留学生を受け入れられず、他大学に廻したことがあったり、台湾政府派遣留学生が大陸に亡命希望したりなんてじけんが60年代初めまであった。千葉大の事件はマレーシア人を主人公にした映画にあった話かな。奄美返還、沖縄返還での日本語教育に関しては今日では同化教育の文脈で語られるが、日本復帰が悲願だった当時は特に問題視された訳ではなく、その必要性が生じたのは小笠原諸島返還の際か。結局、戦後米式の教育を受けた多くの欧米系市民の子弟の多くは米国移住の道を選び、日本の本土に渡った数人も程なく帰島したらしい。その後も中国残留孤児、インドシナ難民、南米日系二世といった波があるのだが、最大の波は80年代後半の中国人就学生の大群か。これも留学生受け入れ10万人計画がきっかけであるのだが、当初無謀と思われたこの計画もあっさり達成。初期は日本の経済力に依拠した部分が大きかったのだが、プッシュ・プル要因の変化と共にその日本語学習目的も多様化し、国策的要素が薄れて来ているのは望ましい形であると思う。こにきて、中国の孔子学院を意識した動きはあるのだが、これと同列で張り合うことが日本にとってマイナスなのは明らかである。

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