![]() | イスタンブール―思い出とこの町 (2007/07) オルハン・パムク 商品詳細を見る |
ノーベル賞というヤツも、栄作とか大中とかゴアが獲ったりして(中国に言わせればダライ・ラマなんかもそうだろう)政治的意味合いが濃いものなのだが、文学賞もまた、英米語とせいぜい仏独西といったメジャー言語を基本としながら、たまに「特殊言語」に振って、国際的価値を保つなんてことをしている(中国に言わせれば高行健の受賞は政治的なんだろうが)。てなことで、2006年の受賞者がこの著者なのだが、アルメニア人虐殺問題で、トルコ政府から国家侮辱罪で訴追されている人だから、それが政治的意味合いがなかったともいえない。その点では、沖縄戦を巡る大江健三郎も似た構図もあるし、イスラム圏ではエジプト文豪の受賞者も、「イスラム過激派」から攻撃されたこともあった。ホメイニから死刑判決を受けたあの人は、さすがに受賞してないけど、「第三世界」からノーベル賞をとるには、「野蛮」な祖国と闘う必要があるのだろう。となると青色ダイオードの人とかも可能性があるのかもしれんが、逆に理系が米国系研究者で占められるのも、専攻が純粋学問に徹している証左になるのかもしれない。で、この著者の文学的業績などは全く知らないし、小説を読む気にもならないので、自伝的エッセイらしいこの本に挑戦。しかし、470ページもあって、時間を浪費してしまったという感は否めない。有名写真家のレトロな写真とセットになっているのだが、著者がイスタンブールでの若き日を振り返るというテーマである以上、やはりポイントは「喪失感」。もうこれで村上春樹の受賞は数年ないことが決定的なのだが、洋の東西、人種、イデオロギー、宗教を越える都会人の普遍的なテーマはこれしかないんかいなとも思ってしまう。著者がイスラーム性というものをほとんど排除して、まるで「パリ」の様な生活観を滲ませるのも、それが本人にとって自然なことだからであろう。当然ながら、そこに「性」の悩みも出てくる訳だが、パリの青年と同じ様に自慰もするし、セックスもする。村上春樹がそいいう読まれ方をしているのかどうか知らんが、「西」の人にとって、「東」の人の「性描写」は、それだけで文学の「枷」を外すことになり、興奮するものなのかもしれない。青年時代の著者の自意識は「西」にあったことは間違いないが、最後に母との間で起こる「東西対立」は文字通り、東でも西でもないイスタンブールという地を象徴しているともいえよう。それが著者の喪失した「東」とするならば、「西」が喪失した「東」に賞を授与するのは、「西」の勝利なのか、「東」の勝利なのかよく分からないところだ。












