![]() | スリランカと民族―シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団 (2006/03) 川島 耕司 商品詳細を見る |
「スリランカ」と民族というと、単純にシンハラとタミルの血を血で洗う抗争を思い浮かべてしまうのだが、こういう本が出てきてくれると、その二項対立の影に複雑な論理が隠されていることが分かるので助かる。著者は「シンハラ・ナショナリズム」を中心としてスリランカの民族問題を論考しているのだが、その「敵」が、キリスト教、ムーア人、マラヤーリ人と変化し、植民地時代、プランテーションの中で働いていたタミル人とシンハラ人は、あまり接点がなかったという。キリスト教という「他者」の出現がシンハラ・ナショナリズムの創生に影響を与えたとすれば、今日まで続く民族紛争は西欧が持ち込んで、西欧が育て、残していったものと言えるのかもしれない。日本でもよく知られている(かな?)バンダラーナーヤカ家は植民地時代のキリスト教貴族の家系だったが、シンハラ・ナショナリズムに傾倒するあまり、仏教に改宗したのだという。そのシンハラ・ナショナリズムはアーリヤ主義と結び付けられ、ドラヴィダ系への差別にも繋がっているらしい。シンハラ人がアーリア人種だったとは迂闊にも知らなかった(というか真偽は不明)が、当時の指導者にはヒットラーに傾倒したものもいたという。傍からみると、肌の色もそんなに変わらんような気もするのだが、まあ、人種の概念などは極めて主観的なものだろう。しかし、現在のシンハラ人が悩まされているのは、マジョリティーだが、マイノリティーな不安なのだという。どういうことかというと、インド6億8千万の人口と、インドのタミル人人口約5千万に言い知れぬ圧力を感じているのだという。言わば日本の人口の18%が中国人である様なものなのだろうが、この辺はアーリヤ主義ではなく、インド=タミルという図式なのかもしれない。仏教徒と人種主義というのも似合わぬ組み合わせだが、もしかしたら、インドで滅びた仏教を守り続けているという点においてアーリア人の自負があるのかもしれない。なんだか、どこかの国みたいな「小アーリヤ主義」的な話だけど。











