世界読書旅
ここ数年に読んだ海外関連本の感想など
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■ タタ財閥
2008年07月10日 (木) 08:16 * 編集 *
タタ財閥―躍進インドを牽引する巨大企業グループタタ財閥―躍進インドを牽引する巨大企業グループ
(2008/02)
小島 眞

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カバーの人がラタン・タタか。それにしてもインパクトのある顔だな。インド人とイラン人と西洋人をミックスすれば、こんな顔になるんだろうが、タタ財閥っていうのは正にそんな企業。タタそのものを題材にしたホンは初めてみたけど、インドにとっては新日鉄とトヨタと松下とソフトバンクと三井物産を合せたみたいな会社だから、その影響力は計り知れない。流行のITも日本でもてはやされているインフォシスをTCSは凌駕しているらしいし、ミッタルからの防衛策で新日鉄がタタと組んだのは記憶に新しいところ。話題の10万ルピー車も無事完成し、飛ぶ鳥を落とす勢いなのであるが、90年代の「改革開放」以前は、タタが1人奮闘していたことを思い出す。当時は停滞するインド経済の代名詞みたいな存在であった訳だが、アフリカとか中東ではタタトラックが走っており、将来、インドが生産基地化すれば、インドから西半分は瞬く間に市場を占有してしまうであろうと感じたこともあった。結局、インドの経済躍進は「英語」という大英帝国の遺産が牽引しているのだが、民族資本の代表格であるタタが、海外においてもブランド力で勝負できる日は、インド経済のロードマップに入っているのだろう。その伏線としてCI戦略を着々と進めているらしく、社会的貢献度を基準としたタタブランド使用の整理が始っているらしい。タタはその気になれば、あらゆる市場を押さえることは可能なのだろうが、無制限に増殖すると、思わぬところで足をとられてしまうということはあるのだろう。著者は最後に、電力部門をポイントとしてあげているのだが、ここでタタがブランド化できれば、インド経済の未来も明るいのかもしれない。1900年代の初めに政治家が盗電を奨励したというのは、どこか数字が違う様な気がするが、未だに多くの世帯や、少なからずの工場が電力を盗電で賄っていることは知られている通りである。そこに政治家の利権が絡んでいることも想像に難くないのだが、インドでインフラを押さえることは一筋縄では行かない。電気、水道、電話といった公共設備の設置が容易であるか否かで、先進国かどうかの基準を量る人たちがいるが、たしかに、それは根拠があるものであろう。「先進国」に必要なのは、天才的な数学者ではなく、誠実な末端役人ということである。
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■ 驚異の超大国インドの真実 
2008年06月27日 (金) 09:10 * 編集 *
驚異の超大国インドの真実―インド人だからわかる!ビジネスの将来性と日本人の大誤解驚異の超大国インドの真実―インド人だからわかる!ビジネスの将来性と日本人の大誤解
(2007/12)
キラン S.セティ

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著者は神戸生まれの米国籍で、嫁日本人のシーク。神戸青年会議所理事長も務めた二代目貿易商という人らしい。ということで、本人が書いたというか、喋ったんだろうが、原文も日本語の様。まあ、書いてあることは門倉本みたいなものなのだが、幾つか面白い箇所はあった。阪神淡路の時、神戸でもインド人コミュニティが被災した訳だが、著者の父をはじめ、印パ分離独立を経験している猛者ばかりなので、この程度のことで騒ぐことはないと妙に皆さん落ち着いていたのだとか。日本の地震は外国人の恐怖の対象であるのだが、少なくとも「インド人はビックリ」しなかった様だ。戦争で被災経験のある日本人はどうなのだろうかと著者は書いているのだが、なるほど、その様な視点のものはあまり聞いたことがない。あと、インドに住んだとときに、生まれて初めてハウスキーパーを雇う生活をしたそうで、日本人同様、距離感が掴めず、相手になめられてしまったとのこと。やはりインド人でも、育った環境ではそうなるのか。日本で、外国人であることで、得していると思うというのは、「アジア系」としては珍しい発言なのだろうが、それは結構、普通のことなのかもしれない。インドでは、外国人は国力によって、カースト制度の順位が決まるなんてことも書いているのだが、つまりは、日本人がネパール人に間違えられることと、日本人として見られることでは、インド人の対応も異なるということであろう。中国人や、アッサム人でもまた違うということか。山田和は日本人はアウトカースト扱いではないかとしているのだが、国力=カースト制という説は初めて聞いた。著者もシークでカースト埒外だから、適当に言ってるだけなのかも知らんが。それに、日本のインド人コミュニティは、カースト別とか、宗派別、言語別とかに分かれるのではなく、「ベジタリアン派」と「ノンベジタリアン派」に分かれて活動するというも、ちょっと意外だか、なるほどの現実だ。たしかに飲み食いが絡んでくると、その方が都合が良いのだろう。まあ、そんな感じで、勉強になるのだが、アメリカの医師の38%がインド系っていうのはホントかな。確かに、かなり多いことは実感としてもあるのだが、3人に1人以上なんてことは、ないだろう。しかし、この著者は1965年生まれで、「11PM」にも出演していたというが、結構若い時に出てたのかな。昔、藤本義一が司会の時、インド人だかバングラデシュ人の青年が出てて、「私は嫁の裸を一度も見たことがありません」とか言って、藤本が「そんなことあるわけない」とか怒ってたことを思い出したのだが、それとは違うかな。あれはシークじゃなかった様な気もするが、嫁も嫁で、セックスしている相手がターバンとかして悶えていたりしたら、なんか笑ってしまいそうな感じもするが。
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■ インドの衝撃 
2008年06月14日 (土) 22:26 * 編集 *
インドの衝撃インドの衝撃
(2007/10)
NHKスペシャル取材班

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去年放送のNスペの書籍化だが、なぜか文春から。書き手に高木徹という目玉がいるからかもしれんが、キャップの広瀬公巳の『自爆攻撃』も大宅賞候補になっていたのか。高木の『大仏破壊』はその時の大宅賞じゃないかもしらんが、講談社、新潮の賞も総ナメにしてたのか。次の年は、たしか佐藤優が総ナメじゃなかったかな。佐藤は今や月七冊も出してるけど、高木はあれから何も出さずにチマチマNHKのDをしてたのか。筆一本で十分勝負できる才能なのに勿体無い。で、今回はNスペチームの共同執筆になっていて、高木の担当は1章のみ。しかも単独の分は『プレジデント』に発表済みのものらしい。Nスペインドも毎回チームが違っていたのか。大体記憶にあるところをみると、全部視聴済みの様だが、最近のNHKものは結構読ませるな。あのインド工科大の「ドラゴン桜」の話は、やはり視聴者に大きな感動を与えた様で、援助の申し入れが絶えなかったとのこと。それを先生は丁寧に断ったそうだが、できる事なら一度日本に行ってみたいという希望を出したのだとか。NHKが先生を日本に呼ぶくらいのことは簡単だろうが、だが、先生が渋谷の若者を見たらなんと思うだろうかというシメはイイね。
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■ 父 ボース 
2008年05月28日 (水) 21:36 * 編集 *
父ボース―追憶のなかのアジアと日本父ボース―追憶のなかのアジアと日本
(2008/01)
樋口 哲子

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著者の旧姓は「防須」。つまり「中村屋のボース」の娘なのだが、これは中島岳志ブランドの聞き書き。中島が「卒論」執筆の為、ボースの娘に会っていたことには、あらためて驚かされるのだが、そこから大学院、しいては現在のスター教授の道が開けたとすれば、著者は恩人とも言える人なのだろう。パール判事の件では、各方面からバッシングがある様だが、そうしたことも「原点に立ち戻る」きっかけだったのかもしれない。とはいえ、ここでも、ボースが日本軍のアジアでの侵略行為を非難したという立場は崩しておらず、右翼と左翼のニュートラルな位置に自らを置きたいという傾向が、ここでもみられる。最近はそのバランスをとるのに腐心し過ぎている様にも感じるのだが、そのことが著者が脚光を浴びている一因なのかもしれない。と、中島の話ばかり、長々としてしまったが、この本はあくまで、ボース娘のオーラル・ヒストリー。意外とといっては失礼だが、結構面白くて、ご本人もかなり魅力的なお方なのだろう。写真も満載なので、資料集としても貴重なのだが、娘さんもボースも、最初の方はインド人顔なのに、日が経つにつれて、だんだん日本人っぽくなっていくのは面白い。親子の会話が日本語だけだったというのも意外だが、母親が早くに亡くなって、祖母の相馬黒光がワンマン教育を施したみたいだから、それも当然なのだろう。お兄さん(つまりボース息子)は戦死したとのことだが、父はインドの独立を見ずに、母と姉は大日本帝国の終焉を見ずに亡くなったというのは考えさせられる。戦後日本に一人残されてしまったボースの忘れ形見である著者のその後の半生は全く語られないのだが、天下国家に翻弄されることなく、平凡な人生を過ごしたのなら、それは亡き父の願い通りということなのかもしれない。
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■ インドに呼ばれて 
2008年05月15日 (木) 11:32 * 編集 *
インドに呼ばれて―印度万華鏡インドに呼ばれて―印度万華鏡
(2007/08)
宮崎 佳代子

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元日航スッチーのインド旅もの。「企画」っぽいから、別にいいんだけど、400ページ超は長すぎねえか。ゴミ本らしく200ページ以下にしてくれれば助かったのだが、コーヒー2杯分くらいの時間を浪費にてしまった。ということで、著者のインド旅の一挙手一投足を読まされてしまったのだが、インドでは女性が得か、男性が得かということを改めて考えさせられてしまった。普通は女性が損。男性も損だけど、女性よりマシといったところなのだが、男は一般インド女性とはデートすら困難なのに、女性はその気はなくても、ウジャウジャ寄ってくる。そういう連中は得てしてダメ元のウザいインド男ばかりなので、男性免疫がない女性以外はムリムリ最低。となるのだが、どうも奴さんも相手を選んでいるところがあるみたいで、ビジネスクラスなどに乗ると、それ相応な男が寄ってくるものらしい。スッチーだからその辺は百戦錬磨なのだろうか。ギリギリの線で「擬似恋愛」も「ウルルン旅」もゲットしてしまうのだから、さすが旅の達人というか。ビジネスはスッチー割引で乗れるのかもしれんが、ミネラルウォーターを沸かして飲むような旅でも、それなりに愉しめるもんなんだな。と改めて納得。もっとも、「地獄への扉」みたいな宿に泊まって、一膳飯屋のパニも飲み干す様な旅も、向こうさんからみれば、苦行の愉しみとしか映らんだろう。まあ、それは否定できないことは確かなのだが。しかし、スッチーのナンパ対策はマニュアル化されているらしいが、FとYだと、その応対ってやっぱ違うのかな。
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■ ナマスカール バーラット
2008年05月03日 (土) 01:40 * 編集 *
ナマスカール バーラットナマスカール バーラット
(2007/08/25)
宮地 敏子

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著者は国際幼児教育学会理事という、おエライさんっぽい人なのだが、これも新風の本。どうもインドに行ったのも「お仕事」ではなく、駐妻としてらしく、前半は使用人がどのこうの、お買い物がどうのこうのといった、ザ・駐妻的話。そのうち、デリーの大学で日本語を教えることになったらしく、インドの学生さんと、日本語劇「ねずみのよめいり」「ひろしまのピカ」などで奮闘する。こういうケースで童話を選ぶのは、それが著者の専門というより、外国語学習の王道なのかもしれない。ただ、川端康成とか大江健三郎の英訳本を読み込んでいる学生さんもいるらしいから、学生に覇気がなかったというのは、芝居など生まれて初めてするからという理由だけではない様な気がする。インドの日本語スピーチコンテストはレベルが高いという話を、前にどこかで読んだ記憶があるのだが、この著者の学生さんも一位、二位に入賞したという。面白いのは、発表者の名前を伏せて、題名だけ紹介するとのことで、これは名前で発表者のカーストが分かってしまうため、審査の公平を期す為だという。名前が分かると、どちらに有利に働くのかは不明だが、ミス・インディアとか微妙なコンテストでもそんなことが行われているのだろうか。一方、大学の学生名簿にはカーストの指定枠で入った生徒の符号が記してあるというのだから変な話だ。アファーマティブ・アクション枠の生徒はドロップ・アウト率が高いということも実しやかに言われているらしい。日本の大学でも一時流行したAO入試を効果が薄いと取りやめる動きが出ているそうだが、大学の教員も、そんな資料があると、成績評価に影響はないと言い切れないだろう。そんな感じでインドの現実を考えたりすることにより、定番の『深い河』の話とか、いろいろと精神世界にも入っていくのだが、最後は、これもお約束みたいだが、引越しトラブルで使用人の話に逆戻り。微妙に長すぎるし、駐妻話か、教育話かどっちかに絞った方がよさそうな気がした。まあ新風はそれどこではないから、本が完成してただけでも不幸中の幸いなのかもしれない。
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■ 現代インドを知るための60章
2008年04月16日 (水) 11:37 * 編集 *
inndo.jpg
現代インドを知るための60章 (エリア・スタディーズ (67))
(2007/10)
広瀬 崇子、 他

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「知るための」も「現代」を冠した2冊目が出れば、大国の証かと思ったら、イキナリ1冊目から「現代」が付いている国もある。この辺の区分はよく分からんのだが、こちらの「現代インド」は文字通り、現代に特化し、歴史、地理といった項目をはカットしましたと最初に断っているだけあって、かなりスッキリした出来である。インドで、歴史とか地理を語ってしまうと、とにかく悠久だかなんだか知らんが、とにかくウザいくらい長かったりして参ってしまう。インドもそろそろ、中国みたいに「歴史派」を分離する必要が出てきているのではないかとも思うのだが、不遇の時代が長かったインド研究者にとって、「私のインド」がITだの、ポスト・中国とかで、わけ分からんビジネス評論家とかの手に落ちてしまうことは許せないところはあるのだと思う。ということで、60章に31人という数の執筆陣を総動員した、集団提訴みたいなものになっている。その異議申し立ての争点はズバリ「光と影」ということであろう。インドを盛り上げてくれるのは結構だが、光の部分だけではなく、影の部分もしっかり報じなさいとのことなのだが、ビジネス評論家は、別にインドに思い入れがある訳ではなく、それがたまたまインドであったということに過ぎないので、影の部分など報じたら、自分で自分の首を絞める様なものである。しかし、それにしてもインドの影の部分も、貧困、就職難、宗教、政治セクト、カーストとスケールが違いすぎて、日本が格差社会とか言ってる人たちにとっては、それだけで、もう光明が見出せなくなってしまうのではないか。そんな現実でもインド人の方が日本人より、ずっと楽観的なのはどう説明しよう。つまり、インド人のインド観は、日本のインド研究者のインド観より、わけ分からんビジネス評論家のインド観の方に近いのである。昭和30年代ブームかなんか知らんが、日本でも当時の方が今より数段「格差社会」であった訳だろう。それでも「明日があるさ」とか歌って過ごしてたんだから、結局それで良かったんじゃないの。
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■ インド グローバル化する巨象 
2008年04月10日 (木) 01:10 * 編集 *
いんど
インド―グローバル化する巨象
(2007/09)
堀本 武功

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日本語はタミル語が起源だとかいう本を出しているくせに、インドものにはあまり手を出さない岩波。既刊の紹介をみると、ロイ、セン、ナイポールとか。新書でも堀田善衞の名作くらいしか思い浮かばない。あれは50年以上前ではあるが。とはいえ、「反日じゃなきゃアジアではない」とばかり言っていられなくなった今日この頃、遅ればせながらインド入門書を出すことにした様だ。著者は30年以上前にデリー大学に留学したというベテランインド研究者だが、最近は明石からアメリカ外交の本などを何冊か出していたりして、どうも最近のインドの変化には付いていけていないのか、嫌気がさしているのかよく分からないところもある。広く浅くというのは入門書のセオリー通りなのだろうが、新書(岩波のね)には、ならない内容と言ってしまえばそれまで。130ページ超だし、あっという間に読めたので、時間の浪費という点では助かったのだが、あまり印象に残る箇所もない。インドもそろそろ「普通の国」になって、「誰もが勝手にインドを語りだす状況」になるのだろうが、その時、こうした先人たちは悲嘆にくれることになるのだろうか。著者が留学した時代は、まだネルーの威厳が続いていた頃で、インドといえば、「非同盟」の「政治大国」であった訳だ。中島岳志なんかもそうだけど、ITか貧困かの両極端でしかインドが語られないことを嘆くのは、つまるところ、「世界最大の民主主義国家」インドの政治にもっと注目してくれということなのだろうか。インドもネルー家が政権を降りてから、政権交代が頻発して、そのリーダーの顔がみえない状態である。それは、その「国力」からみて不当なことであるのだろうが、その辺の構図が我が国と全く同じであることは言うまでもないだろう。なんだかんだいっても、小泉みたいにキャラ立ちできる人間がトップにいることが、「政治大国」への近道でもあるという訳だ。
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■ インドの女性たちの肖像
2008年03月28日 (金) 12:31 * 編集 *
インドの女性たちの肖像―経済大国の中の伝統社会インドの女性たちの肖像―経済大国の中の伝統社会
(2007/10)
サイイダ S.ハミード

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この訳者の人はインド・フェミものを一手に引き受けている感もあるが、なんでも、ITだとかBRICSで踊らされている日本のインド報道が気に入らないらしい。まあ、たしかに新中産階級が経済発展を原動力としても、なおも数億人単位の膨大な貧困層がいるわけで、中国でもそうだけど、日本が「格差社会」だなんて、ちゃんちゃらおかしいということは否めない。もっとも、インドの経済発展を好んで取り上げるのも、インドは貧困であるという前提がある訳で、元から裕福ならニュースになどならないというもの。そうなると、日本の「格差社会」が持ち上げられるのも、日本が経済大国であるという前提があるからということにもなるのだが、その国のステレオタイプを覆す様なものがニュースになるということであろう。その点、こうした告発ものがアナクロなのかどうかは分からぬが、経済発展と人権意識が相関するのであれば、これもITの恩恵と言えないこともない。てなことを考えながら読んだのだけど、著者と物語に登場する女性たちの間に絶望的な「格差」があることは、毎度御馴染みの事実である。それが影響したのか、翻訳の問題が知らぬが、この「実録」は読み物として成立しないのではないか。日本の「実話」系を翻訳してインド人に読ませても、訳分からんとなるだろうが、この本も登場人物を整理するのも困難である。著者はイスラム教徒らしいが、西洋的フェミニズムの論理をインドに当てはめようとしている様にも感じる。それは輸入学問を奉じる我々「オリエンタル」の悲しき性なのかもしれない。前近代的な女性差別の解消と、女性の性意識の解放を同時に行うのは難しい気もする。
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■ 日本語の源流を求めて 
2008年03月19日 (水) 01:31 * 編集 *
にほんご
日本語の源流を求めて (岩波新書 新赤版 1091)
(2007/09)
大野 晋

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著者については言うまでもないが、1919年生まれで、今年88歳になったという。その中身が以前の著作からのものと重なるとはいえ、この年で新書書き下ろしはすごい。日野原先生みたいな人もいるが、1910年代生まれで健在という著者の本というのも、最近では読んだ記憶がない。もちろん、その「日本語タミル語起源説」は健在で、延々とその根拠を並べてこられると、何か永遠なる男のロマンというものも感じる。タミル語起源説が学術的に、影響力を有していないことは、素人目にも明らかなのだが、かといってトンデモ扱いにまでは至っていないのも、国語の大家として著者が築いてきた名声と、タミル語という特殊原語の理由が大きいのだろう。この点は、怪しげな韓国人「学者」が次々と出してくる「日本語の起源は韓国語」本と大きく異なる点でもある。著者はタミル語は朝鮮語にも影響を与えたという説を展開していて、それなら日本語と韓国語に共通点があっても合点がいくのだが、この辺は、「日本に文化を伝えてあげた」ということを証明するために、都合よく、日本語を解釈してきた「韓国人学者」にとっては看過できないものであろう。ポリネシア+アイヌ→タミル→高句麗語→ 漢字(呉、漢、唐音)→ヨーロッパ語という日本語形成において影響を受けた諸語の変遷について、最後にまとめてあるのだが、ポリネシア人はモンゴルから海を渡ってきたなんて説もあるし、そうなると日本人騎馬民族説とも繋がるところである。もっとも、モンゴル語と日本語は全く繋がらないらしい(お相撲さんとかみてるとそうでもなさそうだが)から、言語で歴史を解き明かすのも限界というものがあるだろう。結局、現在のどの国家も、どの民族も、人為的に作られた「想像の共同体」である以上、その起源を単一の民族に求めるのはナンセンスではないかという気もしてくる。その意味では、人間が話す言葉というものに、どこか似通った部分があるのは必然的なことだろう。しかし、レプチャならともかく、タミルというのは結構インパクトがあるな。


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■ パール判事 
2008年03月08日 (土) 01:40 * 編集 *
パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義
(2007/07)
中島 岳志

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今や完全にスター学者に地位を築いた著者だが、「中村屋のボース」に次いでのインド偉人伝。たしかに日本との関わりが深さでは、同時代の両ボースに次ぐ人で、共に「大日本帝国」肯定論に利用されるという構図も変わりがない。ただ、その文脈が「インド独立」に収斂される両ボーズと違い、「戦後」に登場したパール判事の場合は「大日本帝国擁護」の文脈で語られる点に異議ありというのが著者の執筆の動機だったとみえる。「中村屋のボース」の様に、その人間性や生い立ちを詳しく描かなかったことについては、あとがきに「心で書いたボース、頭で書いたパール」と記していて、あくまでも、誤読されることが多いパールの主義主張を「正しく」伝えることに的を絞った様だ。ただ、実際には時間的、環境的制約が影響したことも示唆している。著者の憲法論議がパール判事に影響されたものなのかどうか分からぬが、日本の罪を認めた上で、事後法の無効や、西洋植民地支配の断罪、更には原爆投下における人種差別の怒りといったパールの主義主張については、著者の世代の多くは共感するところが多いのではなかろうか。言うなれば「左右折衷」といったところだが、政治的目的により罪の擦り付け合いをしている連中ほど醜いものはない。ボースが大日本帝国に与したのも「インド独立」という目的があったことに外ならない(結婚したという理由もあることはあるが)のだが、同時代を生きたパールが、東京裁判にも、その後の日本訪問における言動にも、「インド独立」という個人的目的を引きずっていたことは否定できない。熱烈なガンディー主義者であったのも、出発点は「インド独立」であったのだろうが、「独立」と「非暴力」、或いは「白人支配」と「大東亜共栄圏」というのは矛盾ではなく、同質のものであるということがパールにとっては自明のものだったのかもしれない。当時の『文藝春秋』と『世界』は共にパールの理念に共鳴した様だが、半ば右派論壇の専売特許の様になってしまった現状は悲しむべきことなのだろう。「拉致問題」にしても「テロとの戦い」にしても、或いは中国・北朝鮮の人権問題にしても、格差の問題にしても、こう「過ちをくりかえしている」日本人だらけの今、パール判事も「やすらかに眠る」ことはできないのではなかろうか。
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■ インドを知る事典 
2008年02月23日 (土) 23:30 * 編集 *
インドを知る事典インドを知る事典
(2007/09)
山下 博司、岡光 信子 他

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「事典」ものには結構、食指を動かされるのだが、実際は横書きのキーワードを並べた「辞典」のものが多く、開けてガッカリということがほとんどである。しかし、この東京堂が出している「事典」シリーズは、しっかり読み物になっていて、中身が明石の「知るための」より5倍ぐらい濃密だ。私は中学の時から、三省堂より、書泉より、東京堂を愛していたのだが、その一途な愛を受け止めてくれていたのだろうか。著者はインド本が「神秘的」な文化か、発展著しい経済の「両極」に偏ってきたとしているが、研究者のインド愛に応える場を与える東京堂は素晴らしい。それにしても、インドの生理用品はもちろん、オバサンのブラジャー事情や、女の子の穿いているパンティーまで詳細に報告されているのはスゴイ。この辺は女性ならではの仕事かと思うが、証拠写真が400ページ全てに掲載されていて、「マニア」に見つからなければ良いとも思う。一方、男性側の方は懐かしの「アンバサダー」とか、いけない「飲酒事情」などの写真も掲載。おそらく一枚一枚、パチパチ撮り集めてきたんだろうけど、こういう仕事は研究者冥利につきる楽しい仕事なんだろうなと思う。そんな感じで読了すれば一端の「インド博士」になれること請け合いなしなんだけど、私が一番気になったのは、インドの病院に入院しても、食事は出ないという事情、最近話題の外国人医療ツアーはもちろんそんなことはないのだが、一般のインド人入院患者は家族が付き添って飯炊きしたり、外の食堂から弁当を取り寄せたりしているらしい。しかし、NHKスペシャルでやっていた外人病棟とインド人病棟の落差は、かつて体験した中国のソレより、凄まじいものがあった。それにしても中華もそうだが、インド食って、やたら病食に煩い日本の病院関係者からみたら、どうなんだろう。もっとも、食事療法とかやっているのは日本だけという話もあるのだけど。
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