世界読書旅
ここ数年に読んだ海外関連本の感想など
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■ 平和構築の仕事
2008年07月16日 (水) 13:07 * 編集 *
平和構築の仕事―フィンランド前大統領アハティサーリとアチェ和平交渉平和構築の仕事―フィンランド前大統領アハティサーリとアチェ和平交渉
脇阪 紀行

明石書店 2007-12
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アチェ和平交渉の話なので、この聞きなれない名前の著者はインドネシア人かなと思いきや、フィンランド人だった。原書もフィンランド語で、これは英語版からの重訳らしい。ということで、副題に「フィンランド前大統領アハティサーリとアチェ和平交渉」とある様に、主役はあくまで、このフィンランド前大統領の人。別に提灯本という訳でもないんだろうが、野蛮なアジアの内戦を終結してやったみたいな感じがしないでもない。重訳からなのか、イマイチ臨場感がなく、政治交渉のプロセスだけ追っているだけの様な印象。日本では津波の影にあまり報道されなかったということはたしかなのだが、訳者によると、日本がモタモタしている間に、フィンランドが、かっさらった仕事なのらしい。まあ北欧は、それに賭けてるみたいなところがあるから、別に構わないんだけど、交渉成立後の武装解除やらなんやらの作業に日本が参加しなかったのは、フィンランドとしてもあてが外れたらしい。まあ日本に期待されているのはカネだけというのは、何処行っても同じなのだけど、せめてアフリカくらいは、EUがテメエラで出せよと言いたい。結局、日本が消極的になったのは津波の件なのか、テリトリーを犯されたからなのか、或いはインドネシア政府との関係で手を引いたのかよく分からんな。下手に手を出すと、東チモの経験をそのまま移植することになり、色んな意味でよろしくなかったのかな。
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■ バリ島 月光亭の日々 
2008年05月10日 (土) 12:25 * 編集 *
バリ島月光亭の日々バリ島月光亭の日々
(2007/06)
羽鳥 祐之

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河出コードのこの版元は聞いたことがないが、自費屋だろうか。ちょっと変わった版型の本で、図版が多く挿入されているのでそうなったのかもしれない。その図版は著者の作だと思われるのだが、特に言及はない。絵の方は悪くないので、そちらをメインにした方がよかったのではないかと思うのだが、まあ大きなお世話だろう。ということで、書かれているのはバリ島生活での身辺雑事。著者は林野庁出身でマングローブ情報センターというJICA関連の現駐にいる人らしいのだが、その仕事について書いてある訳ではないので、何をしているのかはよく分からん。スタッフが仕事を回してくれないからヒマだとか、日本語教室で、「怒ってるアヒルは『どなるどダック』という」とか教えているなんてことは書いてある。書くのは身辺雑事だから、お手伝いさんとか運転手(の絵)とか、ゴルフ、スノーケリングの話や、一泊200ドルのホテルの偵察など。まあ、そういう日常をバリで送っているという人ということである。しかし、描くのは女性の絵が多いな。まあバリなら当然か。
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■ インドネシア残留元日本兵を訪ねて 
2008年03月25日 (火) 08:48 * 編集 *
インドネシア残留元日本兵を訪ねてインドネシア残留元日本兵を訪ねて
(2007/08)
長 洋弘

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最近、立続けにこのテーマを読んでいる様な気がするが、「戦争もの」の宿命として、その主役たちが死という節目を迎えつつあることとも関係しているのだろう。ただ、版元は「左翼」岩波、「極左」三一の中間くらいの「超左」といったところだから、すわ「日本政府は私たちの死を待っている」という、「従軍慰安婦」とか、「強制連行被害者」といった朝鮮人「被害者」と同じ言説のものかと思ったが、そんな空気は皆無だった。もっとも、このテーマは左側に支配されている「アジア」戦争ものの中にあって、貴重な右側の領域になっていたところもあったので、これを左旋廻さすには「ロームシャ」にでも登場願うしかなかろう。結局、版元は最後の頁に自社本の広告を入れて、ささやかな抵抗を示したのみ。この著者は80年代にジャカルタの日本人学校で美術の先生をしていた人らしく、当時から長年、このテーマで写真を撮っているらしい。美術のセンセイとはいえ、さすがに先生だけあって、この前の学生さんの本とは一味も二味も違う。両者とも、取材に来るマスコミと違って、自分は残留元日本兵に信頼されているということを強調しているのも妙な感じがしたが、要するに残留日本兵は客人を尊重するということだろう。これは昔の日本の習慣か、インドネシアの習慣か、どっちか分からんし、どっちでもある様な気もするが、ここには台湾の山奥やブラジルのコロニアと同じ「戦前」の日本の空気を感じる。そこに「台湾」や「朝鮮」出身の元日本兵がいるのも自然なことだし、偽医者もヤクザも教師もサラリーマンもいる。「日本兵」を悪魔と人民に単純化する二元論はかくも破綻しよう。そして「戦後」も成功して金持ちになったものも、「戦後」を一生引きづった者がいる。数少ない無帰化者の「日本国籍であるからこそ現地の人たちから尊敬される」という言葉の意味は考えさせられるものがあるが、「日本には今、女が裸で接待する喫茶店があるそうだな。私は日本に行ったら、そいつらをたたき斬って、靖国に戦友をお参りに行く」という言葉も、ちょっと考えさせられる。経済的には微妙だが、価値観的には、インドネシアはこの人たちの性に合ったということなのかもしれない。
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■ バリ・宗教・国家 
2008年03月08日 (土) 22:26 * 編集 *
バリ・宗教・国家―ヒンドゥーの制度化をたどるバリ・宗教・国家―ヒンドゥーの制度化をたどる
(2007/07)
永渕 康之

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バリものというと、バリパラ暮らしと文化人類学系の二つの流れに集約されるかと思うが、青土社のこの本はもちろん後者の方。しかも、難解さが勝負の博士論文ものなので、かなり疲れた。バリ文化人類学の系譜にはギアツという巨人がいるのだが、著者がバリ研究に入ったのは青木保ゼミでのギアツとタンパイアの論争が契機になったとのこと。元々、インドネシア研究を志していた様だが、そこでバリと宗教と国家が繋がったということなのだろうか。ギアツの「劇場国家論」がどんなものだったか、記憶の彼方なのだが、ここでいう「国家」とはバリの小王国であって、近代国家の「支配の論理」との対立と均衡がテーマになっている。言うならば、オランダ、日本軍、インドネシアという異民族支配がバリに生じさせた衝撃と変化なのだが、それが植民地支配であれ、軍事支配であれ、国民国家化であれ、バリ自身が自画像を描かされる圧力というものが生じたとも言えるのではなかろうか。インド反英運動の旗手がバリに逃れ、ヒンドゥー復興のイデオローグになったというのも、そうした点では他者による「変革」の圧力ではある。その後、インド留学組が宗教指導者層をリードしていったそうだが、バリに大きな独立運動の系譜が生じなかったのも、バリの宇宙論における「国家」の役割は「劇場」を越えるものではなかったということなのかもしれない。その一方、最近の爆弾テロにはバリ人の多くが狼狽したという。それは単に観光産業という現実的な経済ダメージが理由ではなく、バリの宇宙論では理解できないところがあるからだという。日本の法務大臣の友達の友達が関与しているらしいあの事件は、「宗教」と「国家」の軋轢によって生じた悲劇であるが、いずれにしても、バリの宇宙論の埒外にあるものであろう。正に「劇場型」テロがバリを舞台に起きてしまったことは、また新たな自画像をバリにもたらすことになるのだろうか。
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■ 残留日本兵の真実 
2008年01月23日 (水) 11:22 * 編集 *
残留日本兵の真実―インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録残留日本兵の真実―インドネシア独立戦争を戦った男たちの記録
(2007/06)
林 英一

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もう嫌になるくらい、そればっか言われてんだろうけど、著者は1984年生まれか。ここでも博士論文ものは定番だが、修論ものは、たまにあるくらい。で卒論ものも過去2冊ばかりあったと記憶している。しかし、今回はその上を行く(下を行くかな)、学部生書き下ろし論文というからまいった。SFCの小熊ゼミの出身らしいが、現在は院に進んで愛子先生のところにいるらしい。なんでもハタチの2年生の時、学会発表して塾長賞から、ナントカ優秀学生賞やら総なめにした、学術界の綿矢りさみたいな学生さんの様だ。あとがきで謝辞を表している先も豪華メンバーだし、かなりのホープさんなんだろう。23にして作品社から 400ページデビューは恐れ入るが、インドネシア残留日本兵というのは、若者には、ちょっと手垢がついたテーマの様な気もする。なんでも語学研修で、残留兵の一人と出会い、その陣中日誌を手に入れたことから、それをまとめることに情熱を傾けたらしいが、そうした動機の部分は優等生の鏡えあることは言うまでもない。もっとも、そこにどれだけの「真実」が隠されているのかという点においては、齢87の残留兵と対等な関係が構築された訳ではなく、証言者に選ばれた若者としての使命感で高揚したところがあるのだろう。たしかに、インドネシア残留兵については、政治的思惑から、その人生をいい様に描かれていた側面は否定できないのだけど、陣中日誌にだけ「真実」があるというものではなかろう。一次資料至上主義は研究の基本なのだろうが、もうちょっと遊びがあってもよかったかと思う。朝日の記者さんも可愛がられたそうだが、そうした「年寄りキラー」が学生の特権でもあるが、本人の能力の一部であることには変らない。このまま研究者の道を順風満帆に歩むのだろうが、優等生でもいい、たくましく育ってほしい。
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■ 帰還しなかった日本兵 
2008年01月01日 (火) 22:29 * 編集 *
きかん
帰還しなかった日本兵―インドネシア残留元日本人兵士の手記を読む
(2006/08)
加藤 均

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「インドネシア残留元日本兵の手記を読む」と副題にある。元ネタはインドネシア残留元日本兵の団体の月報を編集したものらしい。元は400ページもある大著だったらしいが、こちらは著者が抜粋して感想を書いたもので170ページで収まっている。もっとも著者の提言というところがメインの様で、それは著者が在職35年という堺市議で、堺国際交流協会というものに関係しているからというのもある。府政にも国政にも転じず(出てダメだったのかもしれないが)、市議35年というのは偉いものだとは思うのだが、序文はワヒドが書いており、表紙は松本零士という豪華版。市議も積もれば山となるではないが、「国際交流」を得意とする人らしく、羽衣国際大学の客員教授にも就任したのだという。提言では「国際化」という錦の恩旗を批判もしていて、この辺は自戒を込めてというより、他人事といった感じなのだろうか。インドネシア残留日本兵については、それが結果的にインドネシアの独立をもたらしたということで、昔から右派のアプローチが強くて、「国際派」というより、「民族派」の文脈で語られることが多いのだが、スペインの人民戦線とか、アルカイダだって「国際派」なのだから、インドネシア残留日本兵が「国際派」の一翼であるのは間違いない。大東亜共栄圏の失敗は語るまでもないが、「国際人」とは「民族主義」とも共存できる人たちであることは間違いない。
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■ インドネシア 
2007年10月18日 (木) 12:20 * 編集 *
インドネシア―多民族国家という宿命 (中公新書) インドネシア―多民族国家という宿命 (中公新書)
水本 達也 (2006/12)
中央公論新社

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時事通信の元ジャカルタ特派員が書いた新書。如何にもインドネシアという国家を反映しているか如くごった煮の印象もある。記者系にしてはあまりまとまりがない。副題が「多民族国家という宿命」となっており、それが著者の一番、言いたかったことだというのは分かったのだが、前半のJIで頁数を食ってしまったのか、最後の西パプアは時間切れに終わってしまった感じ。取材申請なんかしないで、直接行っちゃえばいいのにとも思うのだが、一応、大手マスコミの端くれである以上、そうもいかんかった様だ。しかし、特派員生活の最大の収穫が支局記者と知り合えたことというのはどうなんだろう。一番身近で、一番長く、一番深く接したインドネシア人ということで、それはそうなんだろうが、イスラム教徒の女性であると。この辺は何か意味深。正直にこの本は彼女がいなければ書くことが出来なかったと記しているのは好感が持てるが、それなら彼女にどれだけ依存していたのかというところも気になる。「東アジア共同体」についてはインドネシアが大きな鍵を握っているということは分かったが、日本と中国を競わせるようなしたたかさはインドネシアにはないだろう。何よりもその前提となる石油は純輸入国に転落したというからなおさらだ。そうなるとシーレーン保護や地域大国という立場を最大限活用することが、今後の外交に求められる訳だが、JIをはじめとする「アルカイダ危機」も米国に眼を向けさせる策略という可能性があったりして。
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■ ジャングルの子 
2007年07月18日 (水) 22:32 * 編集 *
ジャングルの子―幻のファユ族と育った日々 ジャングルの子―幻のファユ族と育った日々
ザビーネ キューグラー (2006/05)
早川書房

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宣教師を親にもつドイツ人の著者が、西パプアのジャングルで育った少女時代を回想したもの。訳者までが言ってしまっているのだが、はっきり言って、ジャングルの話より、ヨーロッパに戻ってからの話の方が面白い。まあ「文明」と「野蛮」の出会いという意味では、子どもは「野蛮」な世界に属しているので、著者が「幻のファユ族」と出会ったところで、「野蛮」と「野蛮」の出会いでしかない訳だ。その意味では「帰国後」の話が「カルチャー・ショック」として成立するのだが、当然、その前提として「野蛮時代」を延々と語るしかない。ドイツで電車に乗ることに難儀する場面が冒頭になっているので、著者(というか編集サイドか)も、どの辺りがポイントになってくるかは分かっていたのだろう。「野蛮」と「野蛮」の出会いとはいえ、著者の両親は「文明」の側に属していた訳であって、両親の描写では、はっきりと「文明」対「野蛮」の構図で描かれているのは面白い。たしかに、米大陸や南太平洋での歴史物語で報告されている様に、白人が未知の時代には、「白き肌を持つ救世主」として白人をとらえていたという可能性はあるだろう。しかし、「道具」としての「文明」ではなく、「道義」としての「文明」を白人が伝えて、「文明化」させたというプロセスには納得いかないものがある。ただ、両親の「宣教師」としての活動を著者が曖昧にしているのは、「非宗教=文明」といった今日の西欧的価値観に考慮したものなのかもしれない。その意味では「国民国家統合」におけるインドネシア化に加担していることも、憂慮すべきことなのだが、ファユ族の文明化があくまでもまずインドネシア化という手順で行われることは、援助する側と援助される側も国家と国家という関係性の枠組みからから逃れられない以上、仕方ないことなのであろう。コロンブスも国家というスポンサーを得て「発見」を仕事にした訳だし、宣教師も個人ではなく、あくまでも「代理人」という立場であることには変わりがない。両親を「言語学者」という「個人」の側に置くことは、ジャングルにアイデンティティーを抱く著者にとって意味があることなのである。
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■ インドネシア イスラームの覚醒 
2007年03月08日 (木) 23:58 * 編集 *
インドネシア イスラームの覚醒インドネシア イスラームの覚醒
倉沢 愛子

洋泉社 2006-06-01
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この愛子先生は専門である「大東亜共栄圏」時代のインドネシア論は硬。自らが生活した現代インドネシア社会論は軟。と著作を使い分けている感があるが、これは現代も現代、同時代の話なので、その軟ぶりに拍車がかかっている。とにかくみなさん、インドネシアの社会、特に庶民の暮らしぶりを知って下さい。といった感じで、自分はイスラームの専門家ではないんだけどと謙遜しながらも、一生懸命インドネシア人の文化の核となるイスラームの日常を紹介している。インドネシアにおけるハッジの実態などは興味深く、他の国はどうなっているのかは分からぬが、様々なバリエーションがあることには感心させられる。チャーター機一機分の乗客が最初から最後まで行動を共にするとか、金はあるけど時間がないビジネスマン向けに短期間で効率良く廻れる高級バージョンがあったりと、旅行代理店も絡んだ巡礼の裏側事情は面白い。また、単純にイスラームは本来平和の宗教でノ.といった、教条的な啓蒙とは一線を画していて、JIなんかにも相当、突っ込んだ解説をしている。これはおそらく、著者が偏愛するインドネシア庶民の噂話や、雑誌(有名なテンポとか)でも盛んに話題になっていることを反映したものであろう。ただ、話題がイスラーム一辺倒かといえば、そうでもなくて、最近の社会事情ネタも多く散りばめられている。興味深いのはローニンという言葉が現代インドネシア語として使われているということで、これは現代日本語の浪人と同じ意味だという。それだけインドネシアも学歴社会になったかということはさておき、ニンジャに続きローニンというのも感慨深いものがある。かつて「進歩派」の人たちが盛んに宣伝していたのが「ロームシャ」という言葉がインドネシア語になっている。日本は戦時中の「強制連行」を謝罪せよということだったので、私もバリバリの左翼少年時代、初めてインドネシアに行った時、意気軒昂に日本は「ロームシャ」に悪いことをしたとか言ったら、そんな言葉は知らんと、あっさり言われてしまったことを思い出した。どうもたしかに辞書には載っているが、どういう意味かよく知らないというのが実情の様だ。少なくとも若者にとってはロームシャよりローニンの方が身近であることは間違いなさそうだ。


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■ ヌサトゥンガラ島々紀行
2006年04月14日 (金) 09:27 * 編集 *


ヌサトゥンガラというのはロンボク島からチモール島まで連なる列島を指すが、これはタイトル通り(ただしスタートはバリ島)その島々を横断した旅行記。著者は映像畑の人で、どうもこれが初の著作本となる様だ。最初はありきたりな旅行記の印象を受けたが、あまり旅行者が行かない「秘境」に入ってくるコモド島くらいから、その話が面白くなってくるのは不思議。その前に「さあこれから本番ですよ」とばかりにカラー写真を数ページ挿入しており、それが効いたのだろうか。あるいは著者の興味対象が「失われつつある伝統文化」とハッキリしているので、奥へ進むほど目が開いてきたということかもしれない。順番的には東チモールで「上がり」なのだが、国連経済支配下、「不便で何でもある」この国に著者は、あまり肌が合わなかった様で(ちなみに私は大好きな国の一つ)、実際の旅とは違い、この本ではソロール諸島を最後に持ってきている。この島は正に著者にとって旅のクライマックスであった様だ。たしかに現在でも続く出草や物々交換市場なんていうのは、映像畑の人にとってはたまらなく興味を掻き立てられるものであろう。しかし、物々交換市場が貨幣交換市場に移り行く過渡期が、味の素交換市場というのは考えさせられる。その辺りが著者の思いを全て代弁しているのかもしれない。
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■ バリ島芸術をつくった男
2006年03月03日 (金) 08:51 * 編集 *
バリ島芸術をつくった男―ヴァルター・シュピースの魔術的人生
伊藤 俊治
平凡社 (2002/01)
売り上げランキング: 50,400



ヴァルター・シュピースという人のことは、前から気になっていたのだが、新書でちょうど良いのを見つけた。ただ、これは評伝というよりも、バリ島芸術の解説に近いもので、バリものの特徴である大仰な情景描写がたっぷり含まれているので、ちょいと読みにくかったりもする。この辺は「バリ島芸術をつくった男」を主題とすることに著者なりの抵抗があったのかもしれない。地元を含めたヴァルター・シュピースの評価に疑問を投げかけることはしない。結果的にそれが今日の「つくられた楽園」としてのツーリズム文化に依存するバリの形成に繋がるのだが、その点におけるヴァルター・シュピース自身の複雑な心境にも触れている。もっとも1930年代には観光化が進んでいたというから、それももはや歴史の一部である。最近のバリには正直戸惑いを覚えるのだが、現実から逃避し、ひたすら幻想を追い求めるのが、正しいバリの楽しみ方かもしれない。
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■ 私のバリ
2006年01月16日 (月) 06:59 * 編集 *
私のバリ―神々の宿る島の記憶私のバリ―神々の宿る島の記憶
彩木 めい

彩流社 2005-10
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日本人女性によるバリものというと、バリ嫁入り話と相場が決まっているのだが、これは同じ国際結婚でもダンナはアメリカ人(20歳以上年上)のバリ滞在記。フリーライターをした後、アメリカに移住し、アメリカ人と結婚し、年に三ヶ月程バリに暮らし、バリダンスを習う。現在はフロリダ在住。その体験談を本にする。女性に支持されそうな話だが、野郎の私にはどうもピンとこない。文章も作文教室で褒められそうなもので、非の打ちどころが無いのだろうけど、逆にそのことが空虚なものに感じる。内容も個人的領域に限られ、バリの話というより、バリ人との付き合いやアメリカ人の夫を自慢されている様な気がして、どうもついていけない。こうした「私は勝ち組」系の話は市場の需要に沿ったものだが、書物に何かの回答を求めている訳ではない人間には不向きである。
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