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2019年02月01日Fri [15:09] モンゴル  

サイチンガ研究



都馬バイカルという名前のインパクトが強いが、内モンゴル出身らしい、漢字部分が中国語名なのか日本語名なのか分からんが、1991年に来日というから楊海英より2年遅く、1歳年上か。印哲、仏教学が専門とあるが、桜美林ではキリスト教関係の研究もしているらしく、ひょっとしたら改宗者かもしれん。サイチンガという人は詩人で、日本留学組。 民族主義→共産主義→文革で迫害された後、病死とのことで、楊海英好みの題材でもありそうだが、運動家ではなく、詩人、教育者、翻訳家という位置づけ。文革の罪名は日本時代にグラフ誌『フロント』をモンゴル語に訳した帝国主義者というものだが、成績優秀だったために恩師に翻訳者として推薦されただけのことであったらしい。戦後はモンゴル人共にも留学している。反右派の時は日本で書いた詩集が毒草とされたとのこと。名誉回復後は内モンゴル現代文学の創始者とされていたのだが、最近は政治事情により「その一人」という評価で統一されているらしい。

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2018年10月14日Sun [13:55] モンゴル  

最後の馬賊



講談社か。去年出さなかった分、今年は出版ラッシュだが、テーマがモンゴルの抗中一色になってしまった観もある。日本もその関係性に於けるアクターに過ぎないのだが、日本国籍が中国での安全を保証するものではなくなっては来ている。徳王も李守信も「改心」した訳ではないという持論は今では説得力を保つ様になっているのだろうが、それに呼応するモンゴル人の声が内モンゴルで出てきているのかどうか。李守信が徳王とともに訪日した際の話が興味深いのだが、徳王がモンゴル建国をスピーチで語っても、通訳は殺害を恐れて、モンゴルを蒙疆と置き換えたらしい。一行は志賀島にも案内され、元寇の碑も見せられたのだが、李守信は非常に気分を害したと。日蒙親善の為に日本に来ているのに、何故にこの様な事をするのかという至極当然の話なのだが、日本の戦時中のメンタルは今の中国、韓国と変わらんものであったのであろう。

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2018年07月15日Sun [04:28] モンゴル  

カルピスをつくった男 三島海雲

カルピスをつくった男 三島海雲カルピスをつくった男 三島海雲
山川 徹

小学館 2018-06-15
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今、カルピスの原液を常に冷蔵庫に入れている家庭がどのくらいあるのか分からんが、カルピスが味の素傘下になったことは知っていたけど、アサヒに買収されて会社が消滅していたとは知らんかった。三島財団は存続しているみたいだが、三島海雲は息子に事業を継がせず、カルピスと文化が残れば、会社は無くなっていも良いと思っていたフシはある様だ。この人に関しては色々と伝説的な話があり、それを再検討するというものでもないのだが、バックパッカーでモンゴルを訪れた際、好きになったモンゴル人女性から衝撃の告白をされたことが、モンゴルと三島海雲に関心を抱く契機となったらしい。ある種の大陸浪人ロマンものだが、そういった観点から見ると、三島海雲も俗物には思える。

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2018年07月14日Sat [04:51] モンゴル  

交渉の民族誌

交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦
堀田 あゆみ

勉誠出版 2018-02-28
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博論もの。総研大でモンゴルと言えば小長谷有紀だが、やはりその筋。アイコ16歳の人ななのかと思ったのだが、著者じゃ16歳下で、おそらく無関係。堀田あけみも現在は大学教授になっているらしい。モンゴル遊牧民も文化人類学の草刈場みたいになっているところはあるが、テーマが動物や自然ではなくモノというのは珍しいかも。遊牧生活ではなるべく荷物を少なくするのが鉄則という訳でもないことは知っているのだが、モノが少ないのは単に経済的事情からという事でもない。何となく、知り合い同志で固まっているのかと思ったのだが、宿営地のお隣さんは毎回入れ替わり、別に決まっていないとのこと。そうした中で、モノは融通し合わなくては遊牧生活の死活問題になるので、交渉の必要が生じてくる。といったところのフィールドワーク。自分も日本からモノを持ち込んで、わらしべ長者みたいなゲームをすれば面白かったのだろうが、それでは現地文化を破壊することなので、例によって、家族の一員として観察者に徹している。

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2018年07月07日Sat [02:49] モンゴル  

モンゴル・ゴビに恐竜化石を求めて

モンゴル・ゴビに恐竜化石を求めてモンゴル・ゴビに恐竜化石を求めて
柴 正博

東海大学出版部 2018-06-11
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20年越しの夢が叶い、1995年に完成していた原稿を出版することができたらしい。東海大の退職記念なのかな。ということで、当然モンゴルに調査に行ったのも90年代前半なのだが、当時は厳しい経済状態であったから、学術調査受け入れも外貨獲得の手段としての側面はあったのだろう。その中で日本が歓迎されたのも、非ロシア、非中国であるところが大きかった様だ。中国人に対する反感の凄さも書かれているのだが、この頃はウランバートルで、中国人に間違われて襲われたという話はよく聞いた。もうちょっと後で、自分が行った頃はそうでもなかったのだが、今の経済搾取の反感とはまた違って、チベットの関係ではないかという話は聞いた。ちょうどモンゴルに仏教が復活してきた時期ではある。

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2018年04月19日Thu [06:12] モンゴル  

1930年代のモンゴル・ナショナリズムの諸相

1930年代のモンゴル・ナショナリズムの諸相―満州国の内モンゴル「知識人」の民族意識と思想―1930年代のモンゴル・ナショナリズムの諸相―満州国の内モンゴル「知識人」の民族意識と思想―
鳥雲 高娃

晃洋書房 2018-02-20
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博論もの。内モンゴル大文学部出身ということで、モンゴル文、漢文、日文、全てに通じている様だ。キリル文字は読めるのか分からんが、原文モンゴル文字文と思われる箇所の引用はアルファベット表記である。横書き本ということもあるが、モンゴル語はアルファベットの表記法はあるのか。この時代のテーマといえば、楊海英だけど、著者としては評価をした上で、違和感もある様だ。当時のモンゴル・ナショナリズムは近代化ナショナリズムであった訳だが、そのモデルは日本だけではなく、中華民国でもあったということはたしかであろう。その上で、中華民族言説には与しないモンゴル民族主義があった訳で、その辺を日本がうまく利用したという風にも言えるか。チンギスハーンの英雄化は日本が仕掛けたという説(小長谷有紀)もあるそうだが、それは今の「ウィグル・チベット」の様な中華民族との対抗を意識したものではなかったろう。あくまで五族協和の枠内でモンゴル・ナショナリズムをコントロールしたといったところか。

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2018年01月04日Thu [06:06] モンゴル  

うまたび

うまたび~モンゴルを20年間取材した写真家の記録うまたび~モンゴルを20年間取材した写真家の記録
清水哲朗

玄光社 2017-11-30
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カメラの人らしい。玄光社もその方面の版元か。モンゴルを20年ということで、マンホールの子どもたちが話題になった頃か。私がモンゴルに行ってからも程なく20年になる訳だが、子どもたちももう青年である。その青年たちがニンジャになっているという話ではないのだが、ニンジャと呼ばれる不法金鉱山労働者の姿も被写体に。ニンジャと呼ばれる集団は世界各地にあるのだが、概してネガティブな意味で使われている。モンゴルのこの文脈でもおそらくポジティブな意味は希薄であろう。社会主義時代の名残として、外国人が写真を撮ることに対する異常な警戒心というのがあるが、それが命取りになったり、通報が義務だったりした訳で、必然的な話でもある。それを踏まえなくとも、外国人が無造作に向けるカメラが決して被写体にされる者にとって心地よいものではないことは理解する必要はあろう。

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2017年11月22日Wed [06:00] モンゴル  

日モ関係の歴史、現状と展望 

33626946.jpg日モ関係の歴史、現状と展望―21世紀東アジア新秩序の構築にむけて
ボルジギン フスレ

風響社 2016-03-01
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日モ関係か。蒙の字は使えないから、それで良いのだが、日モンの方がすっきりくるな。昭和女子大のシンポなので、坂東眞理子も執筆に名を連ねているのだが、モンゴル人文大学名誉博士らしい。村田雄二郎も入っているのだが、こうなると楊海英は呼ばれない。日本の蒙疆研究者は澁谷由利と新井利男しかいないとまで言われている。日モ関係史もノモンハンと抑留ばかりが多かったが、ソ連と中国のフィルターから脱することができるようになるのはまだ時間がいるか。宋子文が外モンゴルの独立を認めた覚書があるのだが、この現物はモスクワにあるのか。

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2017年07月19日Wed [04:49] モンゴル  

モンゴル帝国誕生

モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る (講談社選書メチエ)モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る (講談社選書メチエ)
白石 典之

講談社 2017-06-10
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考古学のアプローチで歴史考証って感じかな。筑波はそもそも歴史・人類学研究科というセットになっているのか。チンギス・カンにしてもほとんどが実証などされていない伝承が積み重なって神話が定説化した様なものなのだろうけど、今更、チンギス・カンの遺体とか出てきたり、死んだ場所が特定されたりしたらそれこそ怪しいものになってしまう。伝説は伝説のままで良いというのは史実に実証を要する現代では受け入れられないのだろうが、今のモンゴル国内で発見するのは困難であろう。ロシアと中国に歴史さえ握られているというのがモンゴルの弱みであるが、その辺の期待が日本に対してあるのかな。

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2017年05月14日Sun [06:23] モンゴル  

スターリンとモンゴル1931-1946

スターリンとモンゴル 1931‐1946 (東北アジア研究専書)スターリンとモンゴル 1931‐1946 (東北アジア研究専書)
寺山 恭輔

みすず書房 2017-04-08
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前著に続き、これま重厚な書だけど、スターリンのこの姿はインパクトがあるな。ブリヤート族の衣装とのことで、モンゴル国のとは違うのかしれんが、その辺の知識は無い。これも常識なのかもしれんが、スターリンは民族政策に対する関心は並々ならぬものがあり、特にモンゴルに関しては著者が指摘している通り、中華民国に対して独立を認めさせなかったら、今、モンゴル国が存在している可能性は低いので、逆説的だが、モンゴル国の育ての親とも言える。実際、蒋介石に委譲することも、バルト三国の様に併合することもできたのだろうが、そうならなかったのは日本要因もあろう。モンゴルの警戒対象は日本だけに留まらず、中国に対してもあって、モンゴル統一を認めたら、その拡大範囲がブリヤートから極東まで及ぶ可能性もある訳で、現実的脅威は日本でも潜在的脅威の中国にはより大きな警戒心が必要だったのかもしれない。日本人と中国人の結託がスターリンの恐れるところであったのだろうが、ウランバートル在住の中国人は日本のスパイという位置づけだった様だ。

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2017年04月30日Sun [06:26] モンゴル  

日本人のモンゴル抑留とその背景

日本人のモンゴル抑留とその背景日本人のモンゴル抑留とその背景
ボルジギン フスレ

三元社 2017-02-22
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昭和女子大のシンポ本らしい。関係ないが、坂東眞理子は総長になって、学長は金子朝子さんという人なのか。昭和女子は朝子と縁があるな。インド独立の志士と日本人モンゴル抑留は関係ないこともないが、なぜに昭和女子大かと言うと、内モン出身の編者が教授だから。風響社から本を出しているけど楊海英系の人ではなさそう。モンゴルの当時の人口は72万ほどで、そこに2万も日本人を受け入れるとなると、労働力的には助かるが、供給できる食料が無い。結局1万2千人規模になったのだが、モンゴル側と日本側の記録では200人ほどの誤差があるらしい。処刑者も2名記録されているが、処刑原因は不明なのか。まあそれでもロシアよりはかなりマシであろう。タシケント伝説ほどではないが、ウランバートルの建設を日本人が担ったというのは現在でも言われていること。モンゴルでモンゴル人からそういう話を聞いたことは無いが、中国との関係いかんによってはモンゴルがそういうカードを作ってくるかもしれんし、日本がそう仕向けるかもしれん。とはいえ、ノモンハンでは日本が侵略者というカードもモンゴルの民族派や社会主義残党派は留保している。ウランバートルの丘の上にある日本侵略図に韓国人のツアー団がやってきて、嬉々として記念写真を撮っていたのを思い出した。

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2017年04月28日Fri [06:22] モンゴル  

田中克彦自伝

田中克彦自伝: あの時代、あの人びと田中克彦自伝: あの時代、あの人びと
田中 克彦

平凡社 2016-12-09
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書き下ろしなのか。83歳だから、そういう準備も必要なのだろうが、登場する人物は故人が多くなっているから、その時期を待っての出版だったのかもしれん。佐々木千世子という人は思わず検索してしまったが、開高健の小説は彼女が事故死した後に出たのか。開高もえげつないが、徹底的にダメ出ししていて、この小悦を褒めたC・W・ニコルにもその矛先を向けている。岸陽子は東京外語の同期らしいが、台湾から映画の買い付けに来るバイヤーの通訳で、教授より収入が多かったという。しかし、戦後10年くらいで、日本語の分からず、岸の大陸中国語が分かるバイヤーが台湾から日本映画の買い付けに来ていたのか。映画は統制産業だったから外省人がその役を担っていたのかもしれんが、どうも腑に落ちない話である。岸は田中とタメで、まだ存命だと思うが、ダンナの安藤彦太郎とは17も離れていたんだな。その辺では岡田英弘も出てきて、岡田の前妻も若い妻だったそうだが、家柄のいい人で、田中を毛嫌いし、岡田は完全に妻のいいなりであったという。結局、長い期間かけて、離婚に成功し、岡田は宮脇淳子と再婚するのだが、歳の差は21か。中国関係では同僚だった溝口雄三だが、東京外語で、研究に必要な西洋語を第三外国語で必修にしようとしたところ、自分は中国語だけで世界を渡り歩いている、西洋語などを勉強するのは植民地根性だと猛反対したのだという。たしかに中国研究ならそれでもいけるだろうし、岩村三千夫などは中国語もできなかったという話もあるのだが、モンゴル語とかになると、ロシア語、ドイツ語の文献が読めないと研究にはならなかった様だ。戦中戦後の話とか結構面白い話あり。

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