世界読書旅
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■ モンゴルのストリートチルドレン 
2008年06月25日 (水) 23:23 * 編集 *
モンゴルのストリートチルドレン―市場経済化の嵐を生きる家族と子どもたちモンゴルのストリートチルドレン―市場経済化の嵐を生きる家族と子どもたち
(2007/04)
長沢 孝司

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この本によると、2、3年前からモンゴルのストリートチルドレンは、あまり見られなくなったという。日本で浮浪児が姿を消したのは、戦後何年経ってからなのか不明だが、ウチの親は昭和30年代にもいたなどと言っている。民主化でモンゴルの「戦後」が始ったとすれば、今はちょうど「昭和30年代」の時期ということになるのだろう。例の「マンホール・チルドレン」のピークも、90年代半ばだと記憶しているが、ようやくモンゴルにも「高度成長期」の灯りがともされたのだろうか。ならば一安心なのだが、それでは日本福祉大学がプロジェクトを組んで、このテーマに取り組む必要もなくなってしまう。モンゴルのカウンターパートはモンゴル国立教育大学SW学科だそうで、モンゴルで研究発表を終えたものを、日本向けに書き直したのだという。こういう福祉関係のプログラムは、やはり、現地で発表するというのが筋だろう。日本で完結してしまう研究に何の意味があるというのだろうか。日本側から1927年生まれの研究員が参加しているのも驚くが、モンゴル人留学生が、こうした研究テーマを持って日本にやって来るというのも頼もしい。どこの国とは言わないけど、こうした「自国の恥部」をテーマとする留学生は少ない様に感じる。もちろん、そこに「日本の経験」が生かされるアテがないと、わざわざ日本で研究する必要もないだろう。あまりにも、文化背景、政治社会体制が異なる国では、「福祉」という概念からして、普遍的なものとは言えなくなってしまう。その点、モンゴルのストリートチルドレンも「戦後」を背景にしたものから、現代社会に普遍的な問題を背景にしたものに変わってきている様だ。コラムでモンゴル人はウソをつけない民族という記述があるが、これはどうなのだろう。朝青龍問題もそれが原因だと言えばそうなのだが。
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■ ノモンハンは忘れられていなかった 
2008年05月01日 (木) 01:25 * 編集 *
ノモンハンは忘れられていなかった―六十七年後の今ノモンハンは忘れられていなかった―六十七年後の今
(2007/09)
小山 矩子

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著者は師範学校卒で40年間教職を勤めたという「全国女性校長会」元副会長の人なのだが、現在はもっぱら歴史ものの執筆を愉しんでいる様で、文芸社から「小山矩子 歴史シリーズ著作集」を好評発売中なのだとか。新風舎の末路をみると、文芸もこういう著者は何とか囲い込みたいところだろう。それで、ノモンハンなんだけど、表紙に恰幅のいい人が写っていて、師範学校出が、あの「秘境」まで行ったのか。元気だなあと思いきや、これは「ノモンハン遺族会」の代表の人(男性)だった。なんでも、ノモンハン事件について書いた前作を読んで、手紙をもらったとのことで、てっきり、著者自身が行ったと思っていた遺骨収集の旅は、全部この島田さんの話だったというオチ。島田さんは、自分の写真が使われることを躊躇したそうだが、著者が「写真を使わせて欲しい、興味本位でページをめくる人はいない」と繰り返しお願いしたとのこと。すんません。興味本位でページをめくってしまいました。
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■ モンゴルとイスラーム的中国 
2008年03月27日 (木) 01:45 * 編集 *
monn.jpg

(2007/06)
楊 海英

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この内モンゴル人の著者は前に読んだ本でも驚かされたが、これもかなり強烈なシロモノ。とにかくスタンスが一貫していてブレがないので、もはや確信的な主張なのだろう。あくまでも「モンゴル人」の立場として、モンゴル系(といわれている)中国のイスラームの民への「歴史人類学紀行」なのだが、「中国」の「中華民族」に対する批判は徹底しており、王柯などが読んだら激怒しそうなもの。漢人研究者から「民族分裂主義者」と呼ばれるどころか、日本人研究者から「自民族中心主義者」と呼ばれることも辞さないと宣言していて、老婆心ながら、帰国して行方不明なんてことにならなきゃいいがと心配してしまう。内モンの場合、ウイグルとかチベットと違って、人口比率にしても、既に「併合」が完了した地域とみられるから、それほどマークがきつくないのかもしれないが、著者(の知り合い)によると、中国政府は少数民族の海外留学を制限する予定があるのだとか。それも漢人が自身による「遅れた」少数民族に対する教育に自信があるからとのことだが、やはり本当のところ、「中華民族」の詭弁がバレるのを恐れているということなのだろう、靖国とか尖閣、ガス田で、日本人の世論が沸騰したところで、それが中国人民の同調を促すなんてことは100%ありえないから、カードとして使えなくなれば、「対岸の火事」にしといて放置しても構わない。しかし、こと「民族」問題となると、靖国なんか雑魚みたいなもので、日本の首相に台湾独立反対と民族分裂反対を言わせれば、あるのかないのか分からんガス田なんかくれてやる程のものである。その意味では、著者は石平なんかよりも、中国にとっては危険人物なのだろう。中国にいる「中国人」に波及する声を政府は恐れているのだ。とはいえ、著者は、毎日、政府の腐敗も横暴も目にしている中国の少数民族にとって、日本の書斎派の研究者が主張する単純な中国崩壊論や、民族独立論は現地の声とは大きく異なるとしている。要は政府が主張する「中華民族」も、警戒する「民族分裂」も今のところ幻想の粋に留まる部分が多いとのことであろう。「モンゴル人」である著者が(モンゴル系とされる)イスラーム系民族を巡る旅に出たのも、そうした幻想と現実の矛盾を確かめ、更には反面教師として、自らに宿る「大モンゴル主義」への警戒を怠らないという自省の念があったからの様だ。張承志の作品に示唆されたところも大いにあったらしいが、張の切り口が斬新だったのは、「少数民族」と漢族ではなく、「少数民族」と「少数民族」の関係性を捉えたからという点にもある。思えば、日本の「親中勢力」とかも、米国との主従関係からの逃避であり、反面教師であったのかもしれない。その「親中勢力」が中国との主従関係に陥ったのも皮肉な話だが、もう「自省」もたんまりしたことだし、そろそろ、また主従関係から逃避して、かつての「べ平連」みたいに、中国に虐げられる「少数民族」と連帯するべきではなかろうか。 それがホントの「進歩派」である。


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■ 現代モンゴル 
2008年03月01日 (土) 22:08 * 編集 *
現代モンゴル―迷走するグローバリゼーション (明石ライブラリー 112)現代モンゴル―迷走するグローバリゼーション (明石ライブラリー 112)
(2007/08)
モリス・ロッサビ

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原著はソロスの財団が関係しているらしいが、明石の日本版はモンゴル関係のNPOが手弁当で翻訳したものらしい。小長谷有紀先生が監訳に名を連ねているが、訳者はフリーライターの人とのこと。著者は中国が専門で日本語も解す(どこまで解すかは不明)アメリカ人の学者らしいが、二段組の長丁場の論文ながら、すっきり読めた。たぶん翻訳が良いのだろうが、歴史解説や比較文化批評も返す刀で自国批判といった、余計な定番メニューを排していることも関係しているだろう。時期的に民主化以降のことに絞っていることも成功していると思うが、著者にモンゴルに過剰な思い入れなどもないので、淡々と経済自由化のプロセスを記述している点も読みやすいが、日本版の為に著者自身が、原著が発行された2005年以降の話も加えているのも好感がもてる。それが日本語理解者(?)としての好意なのかどうかは分からんが、JETROの人はモンゴルの日本人や日本企業に関する記述が正確ではないとケチをつけたらしい。日本に関してはそれほどヒドイ記述はなかった様に思えるが、著者の専門である中国に関してはかなり手厳しい。モンゴル人の中国に対する警戒心は歴史的なものもあろうし、現在の跋扈する中国商人に対するモンゴル人の反感は私も現地で確認はしているのだが、この辺はソロス流のところもあるのかもしれない。ロシアを免罪しているところもそうなのだろうが、モンゴルの汚職文化や役人天国に対する批判は、「民主化」した旧共産主義国を如何に理想的な「自由主義経済」の道に進ませるかという課題があるのだろう。そんなモンゴルにも中国にも、そして日本(?)にも思い入れがない著者だが、暗殺されたゾリグの妹で、ほぼ完璧な英語を話すというオユンには思い入れがある様だ。この家は欧蒙混血でオユンはオックスフォード出なのだが、国外に留まらずモンゴルに帰国して、兄の遺志を継いだ彼女はソロスならずとも欧米人は高く評価するところなのだろう。とはいえ、欧米流の「民主化」とか「自由主義経済」が、「アジア」で国民の支持を集められるのかどうかは「最高の成功モデル」であった日本でもこんだけ抵抗があるには周知の通り。オユンとスーチーは似て非なるものなのだが、男性支配の疲弊した国家を西欧化された「女神」で救うというのが、欧米流「新植民地主義」的理想なのかもしれない。
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■ 大いなるモンゴル 
2008年01月23日 (水) 22:32 * 編集 *
大いなるモンゴル―遊牧の民との対話大いなるモンゴル―遊牧の民との対話
(2007/07)
山元 泰生

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全く変な形で日本の報道陣がモンゴルに殺到する事態になったが、こちらは「NPO法人・日本モンゴル親善協会」理事という人が書いた本。如何にもモンゴルファンみたいなNPOおじさんが、モンゴル旅行でモンゴル人人と触れ合って、草原に行きゲルに泊まってといった、あまり明石っぽくない様なのだが、実はこの著者は『週刊ポスト』の記者を15年も務め、レポートした事件は1000件を越えるという。『これが崩壊するソ連社会の真実だ』とか、『世田谷一家殺人事件の真実』なんて著書もあるらしい。今回の騒動でモンゴル通として古巣からお呼びがかかったかどうかわからぬが、大相撲の話は巻末の年表に横綱昇進の年が載っているくらい。純粋なモンゴル好きはこんな騒ぎには関わりたくないだろう。ということで、遊牧民賛歌がすっと続くのだが、ただのNPOおじさんとの違いをみせる為か、チンギス・ハーン伝説や民主化運動の検証といった「事件記者」っぽい話が後半にある。モスクワも北京も攻め落とし、支配したのはチンギス・ハーン本人ではなく、その孫たちなのだが、この辺は簡潔な説明。ちなみに義経説をモンゴル高官に話したら怒られたそうだ。そのチンギス・ハーンは現在、中国では「中華民族」である中国人の英雄とされてしまっていて、「高句麗」騒動ほどではないが、ちょっとした騒動になったのだが、ソ連取材の経験がある著者は、社会主義時代にソ連が支配者であったチンギス・ハーンを悪魔扱いしていた歴史の方に憤りを感じる様だ。この辺は中ソ対立のとばっちりで迫害を受けた「親中派」に対する同情なのかもしれないが、モンゴル人の反中感情にはかなり根強いものがあることを私も確認している。「ウランバートル」の地名を民主化以後も残しているのは、清朝支配の過去が関係しているのかもしれないが、チョイバルサンの銅像も今なお、モンゴル国立大学の前に立ち続けているらしい。これに著者は疑問を呈しているが、時代が変ったからといって、銅像まで破壊したり、辱めを受けさす様な狭隘な気質とは「大いなるモンゴル」は無縁であるということではなかろうか。
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■ 草原のラーゲリ 
2007年11月14日 (水) 21:28 * 編集 *
草原のラーゲリ 草原のラーゲリ
細川 呉港 (2007/03)
文藝春秋

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これぞ「ザ・ノンフィクション」というべき、かなり良く出来た本だとは思う。その分、頁数もなかりあるのだが、このソユルジャブ氏の波乱の人生(この陳腐な形容詞がこれほどしっくり来る人も珍しい)を凝縮するには最低限な紙幅だったであろう。最近は中国も老人には容易に手を出せなくなっているので、こうした老人による「もはや怖いものなどなにもない」という自身を証人とした「新中国」への異議申し立てが増えていえるのは、注目すべきだろう。著者は76年より中国を取材しているベテランというから、文革からの「夜明け」に似た、新たな「夜明け」の空気を現在の中国にも感じているのかもしれない。その「異議申し立て」と最近の「反中国風潮」が決定的に異なるのは、正に証人が辿ってきた人生の重みによるところが大きいのだが、この主人公の話を以って痛感させられるのは日本の「老人力」の低下というもの。最近の老人のマナーの低下の理由は、やはり戦前の教育を受けた老人に代わって、戦後教育世代の老人が登場してきたという単純なものなのかもしれない。「新中国」という幻想が崩れて以来、満洲国の教育、果ては「スパイ学校」のハルビン学院の教育というものを否定することに対する見直しは始まっていたが、新たに民主化や平等、平和といった希望を教えたはずの「戦後教育」という幻想が崩れてしまい、もはや「戦前」と「戦後」の攻守逆転が起きている感もある。ただ、その辺を強調してしまうのも戦後世代の著者の弱点ではあろう。当のソユルジャブ氏が望む本当の「日本人の美徳」とは、もはや戦後世代には再現不可能なものなのかもしれない。
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■ チンギス・カン 
2007年09月02日 (日) 12:14 * 編集 *
チンギス・カン―“蒼き狼”の実像 チンギス・カン―“蒼き狼”の実像
白石 典之 (2006/01)
中央公論新社

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その筋ではちょっと話題になった新書らしい。チンギス・カンについては義経説からジンギス鍋に至るまで多種多様に語り継がれている訳だから、英雄でも暴君でも蒼き狼でも何でもアリなのだが、チンギス・カン考古学者を名乗るのは世界でこの著者が唯一なのだとか。なるほど、そうした星の数ほどある英雄伝説をひもとくために、考古学見地からの発掘物語は大変面白い。チンギスさんは別に石器時代の人ではないので、結構ザクザク遺跡が出てきて、謎とされている墓以外は、著者もその現場に多く立ち会って来たらしい。金銀財宝は何もありませんと再三強調するのは何だかアヤシイ気もするが、当時の遊牧民の生活というのは(現在でもだが)、質素なものであったことは確かであろう。ここまで発掘が遅れていたのは、長らくロシアに倣ってチンギス・カンが世紀の暴君とされていたからで、その反動か今や偶像化が著しい。遺跡も観光化が進んでおり、著者にはやりきれないものがある様だ。となるとロシアのチンギス・カン否定は破壊から守ったとも言えるが、内モン側は文革で破壊しつくされたことは言うまでもない。そして現在の脅威はチンギス・カンの中国人化である。義経だとか言うのは夢見物語に近いものだが、中国は政府絡みで成吉思汗を中華英雄に仕立てあげようとしているから恐ろしい。観光チンギスにはそういう側面もあろう。しかし、元寇は「中華民族」ではないから、中国は外国に侵略したことは一度もないとか言い張ってる癖に、ホントにてめえに都合が良い解釈ばっかりだなあの「大国」は。
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■ 日本人のように不作法なモンゴル人
2006年05月26日 (金) 23:59 * 編集 *
日本人のように不作法なモンゴル人
ザンバ・バトジャルガル Zamba Batjargal 大束 亮
万葉舎 (2005/06)
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駐日モンゴル大使が書いた外交的配慮が施された比較文化もの。というか、日本を好意的に捉えても何の支障もない「東アジア」の国であるから、任国の文化、立場を尊重し、敬意を以て接するという国際的常識に則った本。元々ソ連留学組で、「東」と「西」を相対的にみれる人の様で、自国の宣伝ばかりといった野暮なマネもせず、「正しい自国のイメージを日本人に教える」といった傲慢なところもない。日本人が自分を小さく見せるのはもともと小さくないのに、皆が心地よく生きるための生活の知恵だとして、もともと大きくないのに尊大に振舞うことによって、大きくみせようとする国もあるとチクリ。モンゴルには「自分を大きく見せようとする人は中身が小さい」という言い方があるそうで、この辺は、やれ「縮み指向」だ、やれ「小日本」だとか言って、勝手に納得している他の東アジアの国とは異なる。「一人の日本人は弱いが、集団では....」という大陸国家が大好きな格言にも異議を挟み、コレをしたり顔で話す連中を常々阿Qそのものと感じていた私は我が意を射たりである。「中国人」の部分が「アメリカ人」に変わっていたのは「外交的配慮」なのだろうか。ただ、「アメリカの家に住み、日本人の妻を娶り....」というのには反対が出来なかった様で、日本人女性にピストルを持たせる日本のドラマは間違っている、なんていうのはトホホ。クジラ問題の弁明なんかも書いているが。まあタマにはこんな肩の凝らない在日外国人ものも良いんではないか。
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■ 世界の食文化3 モンゴル
2006年05月03日 (水) 13:10 * 編集 *
世界の食文化 (3) モンゴル
石毛 直道 小長谷 有紀
農山漁村文化協会 (2005/06)
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世界の食文化シリーズも極北編まで出たので、打ち止めかとすっかり思っていたら第1巻の韓国を始め、未だ半分以上が未刊であった。初刊からもう2年近く経っているのに、なんちゅうこっちゃ。という事で第3巻のモンゴルがようやく登場。著者はモンゴル第一人者の小長谷先生だが、家庭料理や内モン関係は不得手らしく、助っ人の手を借りた様だ。すっかりウランバートルに居ついてしまったという斉藤美代子さんは首都の食事情を紹介していて、これは面白い。この街は中韓のレストランが異様に多いのだが、その裏事情なども分かる。小長谷先生自身は得意の伝統的モンゴル食文化で勝負。「白い食べもの」「赤い食べもの」という分類は言い得て妙。やはり本来のモンゴル人の食生活はそれに帰結するのだろう。しかし、私が思い出すモンゴルの味といえばボーズとホーショール。日本の味はラーメンとカレーと言っている様なものだが、あれは何個でも食える。馬乳酒はちょっと遠慮したいけど。
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■ モンゴル草原の文人たち
2005年08月26日 (金) 01:14 * 編集 *
4582483070モンゴル草原の文人たち―手写本が語る民族誌
楊 海英

平凡社 2005-06
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「手写本」というのは文字通り、手で写しとられた本の事で、草原の民であるモンゴル人の間に、古くから用いられていた書だという。それは長い伝統を経て、文化の領域に達し、印刷技術が発達した後も、手写本は財産としてみなされる様になったらしい。そんな手写本を研究対象とする在日の内モンゴル人研究者による、一般向けのモンゴル手写本啓蒙書。当の手写本の世界は、それ自体が民族文化史であるので、大変に興味深いものだが、私の様な、その方面の知識が欠けている人間が注目してしまったのは、ところどころに挿入される著者の「歴史認識」。著者は漢語名を使っている人だが、明確に中国共産党の犯した過ちを断罪している。まず文革期に「封建社会の有害作品」とされて、トイレットペーパーにされてしまった手写本を老人が拾い集める話から始まり、漢族の入植によってモンゴル人が土地を追われる歴史も、モンゴル人がかつて中国を支配した自負についても率直に書かれており、こちらの著者が「帝国主義者の盗賊」と罵倒しているヘディンなどの欧米探検隊も高く評価している。彼等、探検隊が収集、書写した手写本は北京の教会で守られていたそうだが、「解放前」に中国共産党軍に2度も襲撃され、全て略奪されたという。また、ある「歴史が非常に複雑」な手写本の作者については、この調査は危険だとも書いているし、更には費孝通を「変節学者」として、その中華民族論を「少数民族を中国にとどめておくための巧妙な策略である」とまで書いているので、思わず、おいおい大丈夫かよ。と心配してしまう。しかし、傑作なのは「解放後」にアヘン中毒の僧侶が、「再教育」を行いにきた若い兵士を適当にあしらって、手写本を守ったというくだり。正に「宗教はアヘン」である。
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■ モンゴル国の伝統スポーツ
2005年08月15日 (月) 02:43 * 編集 *
4794705123モンゴル国の伝統スポーツ―相撲、競馬、弓射
井上 邦子

叢文社 2005-02
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これも博士論文もの。しかし、日本体育大学大学院提出の体育学博士論文というから珍しい。著者は修士課程一年まで、モンゴルについては名前くらいしか知らなかったという。そんな著者の人生を変えた一冊が、一ノ瀬恵氏の『モンゴルに暮らす』だったらしい。同時期に私も読んだ記憶があるが、自分の人生に何も変化は起こらなかった。これまでおそらく1万冊以上は読んでいると思うが、自分の人生に影響を与えたとはっきり言える本など一冊もない。薄々、感じてはいるが、惰性と化した濫読の弊害は大きい。読書で何かを得ようとしたら、「適材適書」で読むのが一番効果的であろう。
 話が大きくそれたが、この論文はモンゴルの伝統スポーツ(ここではナーダムにおいて競技が行われる、相撲、競馬、弓射を指す)における身体論がメイン。個人的には最終章のポスト社会主義時代としての観光ナーダムについての論考が一番、興味深い。
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■ モンゴルの二十世紀
2005年07月19日 (火) 03:06 * 編集 *
4120035468モンゴルの二十世紀―社会主義を生きた人びとの証言
小長谷 有紀

中央公論新社 2004-08
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モンゴル研究者として知られる著者が、主に社会主義政権時のモンゴルをその時代に生きた人たちの半生記を通じて、浮かび上がらせる。なんとも興味深い構成のモンゴル現代史。
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