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2019年07月29日Mon [13:46] 東アジア  

新冷戦時代の超克

新冷戦時代の超克 ~「持たざる国」日本の流儀~ (新潮新書)
片山 杜秀
新潮社
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新潮新書ヒット法則。語りおろしものか。「バカの壁」以降、そうだと公表した方が良いという方針になったのだろうけど、一貫したテーマがない分、ただの居酒屋講義みたいな感じになっているところは否めない。新冷戦時代が未だリアルに感じられないのはかつての冷戦時代の記憶から、冷戦とは2つの帝国によるブロック争いという認識が染み付いているからか。中国が米国を上回る経済力を持ち得たとしても、曾ての国際主義建前を欠く一国完結型の党国家が多国間ブロックを形成できるのかという疑問が常にある訳で、結局、消耗戦になれば金の切れ目は縁の切れめという帰結ではなかろうか。

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2019年07月20日Sat [14:35] 東アジア  

文学部のリアル、東アジアの人文学 



二松學舍大学のシンポ本らしい。二松学舎は文学部のみの単科大学かと思っていたのだが、国際経済学部もあるのか。wiki見て莫邦富が二松学舎の博士だと初めて知ったが、自著には書いていなかったかな。都内では野球強豪校の高校の方が大学より知られている観もあるが、中国では昔から日本語関係者にはよく知られていた大学。東京の大学が一律に総合大学化する中で超一等地にある大学が総合大学化しなかったのは敷地に限りがあった事以上に専門系の自負があったからだと思うが、文学部廃止が時代の趨勢になってきている現在、大学存続の死活問題となっているのは厳しいところ。同志社や中京、大東文化など総合大学化した大学の報告者も文学部の厳しい事情を訴えているのだが、東大文学部で教職課程廃止論が出ているという話は空気読めということなんかな。教職が文学部の屋台骨を支えているという認識が正しいのかどうか分からんが、文学部廃止論或いは統合論、再編成論の背景には就活事情もあるだろう。カタカナ系学部で統合しても内実が変わるものではなかろうが、文学部だとイメージ的には虚学のままなのかな。

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2019年06月28日Fri [16:03] 東アジア  

沖縄から問う東アジア共同体



例のパチンコ財団本だが、オールスターだな。左翼にとっての沖縄は右翼の「チベット・ウイグル」と同じなのだが、進藤栄一は「ウイグル」に行っきたが、スゲー発展している、一帯一路万歳とか臆面もなく書いている。林泉忠とか中国人にはそういう事を書かせぜに、反米従中言説は日本の「知識人」にやらせるという手法は相変わらずだな。韓洪九はまともリベラルっぽいイメージもあっただが、朝鮮ネトウヨみたいな感じになっていて、ちょっと意外。韓国向けに書いたものを翻訳したのだろうか。鳩山は実は今も隠れ自民で、もしかしたら、自民に票が行くように工作しているのではないかという疑念も生じる。平均的な日本人の読者であれば、この本は逆効果にしかならんだろう。鳩山一族なんざ、革命が起きれば真っ先に打倒される存在である訳で、その防御策なのか、保険なのかよく分からん。そこに中国と北朝鮮との利益の一致はあるのだが、こうした日本の「良心的」勢力が韓国や北朝鮮、中国をを批判する様になった時こそ、自民、保守勢力にとって危機になるのであろう。

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クリかも。立命館のプロジェクト本らしいが、だから、かもがわという訳ではないか。ただ、かもがわだから、韓国、中国、香港だけで台湾はNGだったのかもしれん。立命自体の台湾人留学生がいないことはないだろうが、やはり韓国偏重は目立つな。でもって、韓国の特徴としては日本や中国より血縁意識が高いというもので、それが韓国の老人困窮問題の最大要因であることは、よく日本にも伝わっている。ただ、それは老人のみならず、中年世代でも顕著になってきているみたいで、40代から首切りが始まる韓国では血縁でのセーフティネットで、社会的繋がり喪失をカバーできなくなってきている様だ。中国からは老人世代の改革開放以前を懐かしむ声が。たしかにこれだけ格差社会になってしまうと、退職して悠々自適というかつての常識は崩壊してしまっているので、一律に貧しかった時代の方が良いということもあろう。ただ、その昔に金持ちはいなくとも、特権階級はいつの時代にもいた訳で、むしろ特権階級が民衆の羨望と敵意の対象として金持ちという存在を調整弁としているという点は見逃されているのではないか。

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2019年06月19日Wed [14:24] 東アジア  

地方発外国人住民との地域づくり



カトリック系の研究会だろうか。多文化共生教も今や疑問を投げつけられるのがデフォになってしまったが、バックボーンがある人たちは揺るがない。特に地方では大学の権威は有効であるのだが、日本人も外国人も同等に自己責任で生活している街では多文化共生も怪しい人たちの空虚な教えに過ぎない。そうした空気を執筆陣が感じていたのかどうか分からんが、淡々と現状報告に徹しているものがほとんである。何か役所のレポートを読んでいるの様な気がしたのだが、そうした空気に我慢ならなかったのか、編者の一人が暴発している。愛媛は総連と連帯した活動が活発であるみたいだが、総連のレポートみたいのが一つだけあると浮き上がった観は否めない。あとがきでは韓国の「多文化共生」策も絶賛していたから、ああやっぱりといった感じはした。

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2019年06月04日Tue [18:29] 東アジア  

寒冷アジアの文化生態史 



古今書院の地理もの。シリーズ名がある訳ではない様だが、東北大東北アジア研究センターの企画ものらしい。東北アジアは通常、北東アジアと称されることが多いのだが、東北大が北東を冠する訳にもいかなかったとも思われるし、北東アジア共通のなんちゃらみたいなイデオロギー系のイメージもあるので、東北アジアで妥当か。この地域でも寒冷地系は北大か東北大の担当と相場が決まっているのかもしれんけど、アイヌ・エコシステムの検証などもあって、この辺は北大だとアレなところがあったのかもしれん。

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2019年05月14日Tue [15:12] 東アジア  

陸軍参謀川上操六 



評伝というよりも、戦史もの。分からんけど、吉川弘文館の最近の傾向とは逆ベクトルではないのかな。日清戦争は日本の侵略戦争の第一歩で、台湾も尖閣も盗まれたといった中国正史は中国の反日抑制で迎合する必要も無くなったのだが、代わりに日帝の朝鮮侵略の第一歩という韓国左派から提起される様になってきた。特に東学党関係は民衆の抗日蜂起という「正しい歴史」に合致するので、北朝鮮と韓国の評価が微妙に違っても、日本の左翼学者にとっては迎合する材料にはなっている。そうした史観に本書は批判を加えているのだが、そもそも東学党は正式の軍隊ではないので、戦争の枠組みには入らないとも。この辺は韓国の上海亡命政府が日本に宣戦布告して勝利したという韓国左派の正史とも被るところなのだが、そうした与太話は戦史的には相手にしていないといったところだろうが。

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2019年04月30日Tue [02:03] 東アジア  

日本の国益



意識高い系の外交官といった感じの本を出していた人だと思ったのだが、東大教授に転身していたのか。大使にはならず、上海総領事で締めたみたいだが、小国の大使より東大教授の方が全然上ではあるか。前の本にも東大で非常勤で教えていると書いていたので、定年前みたいだし、別に天下りという訳ではないのだろう。外交官上がりで、私設研究所みたいのを作って外交評論家の肩書だと、ヤバイ系が多いのだが、東大から声がかかったということはそれだけ無難であるということ。日本の国益という題目も大学(の中の人)によっては抵抗されるところだが、とりあえず、日本の最高学府では命題として生きているということであろう。

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2019年04月28日Sun [14:51] 東アジア  

ニュースがわかる図解東アジアの歴史



ソフバン新書は前に出版事業ごと身売り撤退という話を聞いたことがあったけど、意外と続いてんだな。ビジュアル新書は新書衰退の生き残り策みたいなところもあるのかもしれん。執筆は30歳くらいの人で、東大卒カリスマ塾講師みたいだが、オールド左翼が幾ら「東大生の自民支持」を嘆いても、若者が左翼史観に惹かれるには宗教的要素が無いと無理だろう。ソフトバンクも反日とか言われているけど、私の知る限り、イデオロギー的なものは無い感じ。

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2019年04月23日Tue [19:56] 東アジア  

牟田口廉也



牟田口元凶説は最近のNHKでも踏襲されたのだが、牟田口が愚将であるなら、牟田口一人に責任を負わす世もまた愚民ではあるか。インパールが敗戦の象徴となっているのは軍の悲劇であり、民の悲劇たる原爆や空襲と違って、責任者が追求されるからなのだが、ある意味スケープゴート的役割を牟田口は担わされたところはあろう。牟田口の悪魔化は牟田口に反対した者を善玉化したが、牟田口を放任した者に責任は牟田口の悪魔化によって、分散されずに済んだと言って良かろう。当時の陸軍が持っていた権力の大きさは軍人を政治化し、高級軍人は派閥の論理で動かされることになる。牟田口はそうした権力闘争の犠牲者と言えるのかどうか分からんが、牟田口が左遷されなければ日中戦争は起きずに、牟田口が司令官でなければインパール作戦は起きなかったと、イフを唱えるのは可能である。それが牟田口を牟田口足らしめている所以であろうが、牟田口が愚将であるとして、牟田口の人間化はヒトラー同様に必要なのかもしれん。

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2019年04月20日Sat [17:20] 東アジア  

林芙美子が見た大東亜戦争



これもハート出版ということで、同時期に南京にいた林芙美子が書いていないので、虐殺は無かったということが目玉に据えられているのだが、著者は元々、南日本新聞記者で芙美子研究をライフワークとしている人らしい。韓国がきっかけで、日本はそんな悪い国だったかなと疑問に思うようになったというり、パヨク界隈の「父親がネトウヨに」みたいな話だが、新聞協会賞も受賞した社会派記者を目覚めさせる韓国もまたネトウヨ製造機と言えるのではなかろうか。とはいえ、大物パヨクの山崎雅弘を普通に引用していたりもするので、ネトウヨになりきっているということもない。林芙美子の戦争責任に対しては否定も肯定もしていないが、兵隊好き、報国活動に熱心といったワードからは批判的なニュアンスも感じる。それなのに芙美子自体に戦争責任を追求する声がほとんどないのは芙美子が女性であり、その生い立ちに階級闘争、反差別が使えないからであるのだが、南京大虐殺否定のツールとして林芙美子が使えるかというと、それも無理筋っぽい。

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2019年04月14日Sun [15:00] 東アジア  

ネットカフェの社会学



博論もの。「ネットカフェ難民」が流行った頃のものらしい。当時と状況はさほど変化してないと思うが、ネットカフェ自体も形を大きく変えたという訳でもなかろう。中国、韓国、台湾、シンガポール、フィリピンでもその歴史は日本同様、20年余になるが、パソコンやブロードバンドが大きく変わっても、そのスタイルはそれぞれ大きく変わっていないというのは興味深い。スタバに象徴されるカフェ文化はグローバルに同質化しているのだが、ネットカフェはそれぞれのスタイルを維持している。大久保にも在日客専用の中国、韓国スタイルのネットカフェがあるのだが、それは日本のネットカフェとは異なる本国に踏襲したものである。日本の特徴して上げられる個室化は最近、韓国でも取り入れられているらしいが、日本の静寂に包まれた空間は世界的にも特殊である様だ。所謂ぼっち文化の代表格でもあるネットカフェであるのだが、その利用形態としては公共空間として、図書館や映画館の延長線上に位置づけられるルーツはあるか。

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