2016年10月14日Fri [23:25] チュニジア  

チュニジア革命と民主化

チュニジア革命と民主化――人類学的プロセス・ドキュメンテーションの試みチュニジア革命と民主化――人類学的プロセス・ドキュメンテーションの試み
鷹木 恵子

明石書店 2016-09-10
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「チュニジアを知るための」の編者の人。当時は治安の関係で渡航できなかったらしいのだが、5年かけての総括。「人類学的プロセス・ドキュメンテーションの試み」という位置づけなのだが、研究論文とドキュメンタリーを足して2で割ったものといった感じか。証言記録が多く、革命や戦争といった物語の再構築によく使われる手法。チュニジアはイスラム圏で唯一、一夫一妻制が法律で定められていた国だったと記憶しているが、そうしたリベラルな風土が革命の原動力であったことはあるものの、革命後に台頭したのはサラフィー主義というお決まりのパターン。もっとも、革命の発端とされる野菜売りに女性警官がビンタ事件は元々イスラミストが多い、貧しい地域で、警察はベンアリの手下として憎悪の対象だったという。その後の自殺が導火線になったにせよ、地元とチュニスでは革命の性質が全く異なるみたいで、運動の名称も違うのだとか。独裁者を追放したは良いが、権力の空白に武闘派が入り込み、テロが頻発し、観光客は激減、出稼ぎ先のリビアも崩壊、ヨーロッパに行けない、行っても仕事がなかった者は戦士としてIS入りという負のスパイラルである。ただ、言論は自由化したので、リベラルも過激化。日本の敗戦直後みたいな何でもありのカオスの様だが、それでもベンアリ時代の方が良かったという声はまだ聞こえてこないか。

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2016年02月05日Fri [04:04] チュニジア  

「アラブの春」のチュニジアで

「アラブの春」のチュニジアで―おおらかな人と社会「アラブの春」のチュニジアで―おおらかな人と社会
守能 信次

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シニボラもの。スポーツ関係が専門なのかな。中京大名誉教授だそうだが、チュニジアへは普通に日本語教師の様だ。あのアラブの春の真っ最中にチュニスに降り立ち、2日後にベン・アリが国外に去ったという。JICAだから退避命令で帰国はするのだが、落ち着いたところで、戻ってきて2014年まで務めたらしい。体育教育が専門だからということではなかろうが、チュニジア人の時間感覚や融通が利かない仕事ぶりを批判しているところが多いのだが、それはそれで文化として認めている。フランス語とアラビア語のバイリンガル政策に関しては、政策的というより、文化として確立しているから誰も疑問には思わないということか。大学の授業がフランス語だけというのはアラブ人同士であるから奇妙にも思えるかもしれんが、アラビア語にしたところで、チュニジア方言は大分違う訳だから、フォーマルな言語として使う文にはフランス語でも同じことか。日本の大学で英語だけで授業する感覚というよりも、関西の大学で授業が標準語で行われることに疑問を呈さないのと同じ様な感じかもしれん。イスラム教やサラフィストの問題にも考察あり。カフェや鉄道などチュニジアあるあるといった体裁。

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2015年09月27日Sun [22:52] チュニジア  

チュニジア近現代史

チュニジア近現代史―民主的アラブ国家への道程チュニジア近現代史―民主的アラブ国家への道程
ケネス パーキンズ Kenneth Perkins

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著者はアメリカ人で、英語圏に於けるチュニジア支の権威とされている人らしい。ということは仏語とかアラビア語では別の権威がいるのだろうが、フランスの保護領であったチュニジアでは「歴史認識」の問題は発生しないのか。原著は2004年で政変を受け20014年に加筆した第二版が底本とのこと。チュニジアと言えばアラブ世界随一の政教分離世俗国家であって、一夫一妻も法律で定めているのだが、この辺はフランスの影響というより、トルコの影響が強いのか。青年チュニジア党というのは青年トルコ党同様、他称かもしれんが、両者の関係性はある様だ。ブルギバはラマダン中にオレンジジュースを飲んで見せたり、ムハンマドを揶揄する様な事まで言った人らしいが、アラブ世界ではこういった国父的な人の統治の方が上手くいくのかな。

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2012年07月07日Sat [23:46] チュニジア | 本・雑誌 |読書メモ  

文明の十字路から

文明の十字路から文明の十字路から
本田 徹

連合出版 2012-06
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チュニジアも後世に刻まれるだろう一連の「ジャスミン革命」の嚆矢となった国なのに、すっかりエジプトにお株を奪われたというかタマがないので本が出ない。てな訳でか分からんが、1980年に出た青年隊体験記が再刊。この版元は100年前の旅行記の再刊などもしているので、これも版権切れのサルベージかと思いきや、連合出版から出ていたものらしい。その頃から続いているというのは意外だったが、78年設立で、ずっと一人で切り盛りしている版元の様だ。勝手に労組機関紙かなんかが母体で、20人くらいの会社かと思っていたのだが、パッカーあがりの全共闘世代が好きな旅本を出し続けている様だ。やたらあるカンボジア本は第一作からのこだわりだったのか。まあそれはそれとして、この著者は当時佐久病院勤務だったらしく、若月英一の「医学生研修医の為に私が選ぶこの10冊」の1冊に入っているのだとか。若月の威光は今の医学生にどれだけ響くのか知らんが、後年若月賞も受賞したという著者に対する親心みたいなものか。時代を感じさせるのはやたらチュニジアではなく、中国を称賛しているところで、発展途上国には例の「はだしの医者」が有効であるだとか。チャン・イーモウの「生きる」などでは「裸足の医者」が強烈に批判されていて、実のところ当時も現在も中国では全く評価されていないというのが実情かと思うが、ハリ麻酔手術とか当時は日本の医療関係者も感嘆していたものの様だ。中国は当時のチュニジアにも医療団を送り込んでいて、交流があったらしいのだが、彼らは現地の人と私的に親しく交わることはないとしている。そ相したミニ中国社会の是非は判断しないとし、アラビア語や仏語をほとんど話さなくても医療は可能であるとやたら好意的なのだが、この頃はまだ「外国なら北朝鮮でも喜んで行く」の時代か。今もアフリカの中国人はその構図はあるのだが、国家だの社会主義の為ではなく、カネの為にね。

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2010年09月18日Sat [03:26] チュニジア | 本・雑誌 |読書メモ  

チュニジアを知るための60章

チュニジアを知るための60章 (エリア・スタディーズ81)チュニジアを知るための60章 (エリア・スタディーズ81)
鷹木 恵子

明石書店 2010-08-18
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遂にチュニジア登場で、知るためのマグレブ3国が揃ったか。チュニジアの場合、ヨーロッパの続きみたいなもので、実際、一夫多妻を認めない世俗国家であるのだが、そうしたことも中東アラブ研究がイスラーム研究と被る業界において、チュニジア研究があまり人気のないところなのかもしれない。それでも28人もの執筆者の肩書きをみるとチュニジア研究を標榜している人は数人いる。編者を含め皆女性なのは、そもそも中東研究が女性上位であることを差し置いても、チュニジアにおける研究が女性であることによって不利にはならないことを示しているのだろう。もっとも、アルカイダ系とか「イスラム原理主義」系のこととなると女性では難しい(男性でも困難だが)とは思うが、チュニジアはPLOを追い出して以降は、あまりきな臭い話は聞かないし、この60章の中にもその手の話はない。ユダヤ教徒のコミュニティも辛うじて残っているそうで、その人口を大きく減らしたのも宗教的圧迫というより経済的事情の方が大きかったともみえる。シナゴーグに「イスラム過激派」が突っこんで自爆したこともあるにはあったが、基幹産業である観光の資源としてもユダヤ教の存在は保護の対象である様だ。チュニジアというと思い浮かぶのサッカーという人も多いだろうが、独立した章ではない。チュニジア人にとっても日本といえば、ワールドカップとかナカタという人が多いことは何かの紀行文で読んだのだが、ジーコの時もたしかアウェーで勝っているんだよね。その代わりという訳ではないが、チュニジアが柔道大国であることに詳しい記述が。

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