![]() | ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する (2006/09) アリエル ドルフマン 商品詳細を見る |
この著者の本は前にも一冊読んでいた様だが、アルゼンチン生まれのチリ国籍で米国育ちのユダヤ人というややこしい経歴の文学者。父君がアルゼンチンの軍事政権に迫害されて、アメリカに移ってみたら、今度はマッカーシーズムの時代になって、チリに移住し、本人は「帝国主義の言葉」である英語を捨てて、今後はスペイン語だけを使う決意を固めるものの、今度も軍事クーデターでチリを追われ、ヨーロッパを経て、再びアメリカで英語を糧に暮らしているという。まあ英語が帝国主義だからスペイン語ということに根本的な矛盾を感じないところに「階級闘争」ではなく、教義としての「社会主義」を実践してきた知識人らしいものを感じるが、「たまたま」国外に脱出できた者のひけめも、またピノチェト追求に積極的にならざるを得ない理由であろう。この問題が著者の様な国外組と、国内組の間には微妙な温度差があることも、その辺りに理由を求められるかもしれない。世界初の民主的選挙によって誕生したと言われるアジェンデ政権が、民衆の期待に十分に応えることが出来ず、労働者も、富裕層も敵に回して、中産階級のインテリという限られた支持基盤に依拠してしまったことは、ラテンアメリカにおけるポピュリズム政治を軽視したことにとる失敗とも言える。その意味では現在のラ米新左派潮流の代表格であるベネズエラのチャべスも、ブラジルのルーラもタイプは異なるが、アジェンデの失敗を反面教師にしている節があり、アジェンデが30年早かったとしても、CIAに援護された右派軍人による左派政権打倒という構図に収めることはできない。著者の様な国外組が、反帝国主義の言説に基づいて単純化するのも、知人友人が遭った悲劇のトラウマが関係しているのであろう。「被害者の記憶」が再生産されことによる弊害は、「悲劇」の重みを突きつけることによって、沈黙と哀悼を強制するのだが、「遺族」の悲しみと「歴史」に整合性をつけるのが、ポスト・アパルトヘイト以降、各地の紛争でモデルケースとなっている「真実と和解委員会」という試みなのであろう。スペインやイギリスが果たしてピノチェトを裁く権利があったかという問題は結局、整合性が曖昧になってしまい、チリもまた結論を留保したままピノチェトは死の床についた。結局、「歴史」を裁くことは出来なかったということである。





